被災地で進む新しい挑戦や地域の魅力を特集記事で紹介します。

白石ファーム 白石長利氏

俺が8代続く小さな農園を継いだのは2003年、21歳のときだった。伝統を引き継ぎつつ、俺の代で新しい農業のスタイルをつくりたい。そう思い、農業高校・大学時代から学んできた無農薬・無化学肥料の自然農法を導入した。正直言って、当時は今ほど頑張らなくても、野菜はそれなりに売れ、それなりに稼げた。(2018年3月20日掲載)

一般社団法人MAKOTO 代表理事 竹井智宏氏

360度、見渡す限り瓦礫の山。自然に元通りに戻ることはなく、誰かに任せておけば片付くものでもない。「何かしないと」「自分が動かなければいけない」。目撃者の心の中に、本能的にスイッチが入った。それは何も、東北にいた人たちだけではない。テレビであの惨状を目の当たりにした日本中の人たちが、当事者意識を呼び覚まし、心を起動させた瞬間だった。(2018年3月19日掲載)

グーグル合同会社 Google Earth Outreach プログラムマネージャー 松岡朝美氏

「一緒に東北でやらないか」。2012年秋、上司から突然かかってきた電話。当時、私はストリートビューの撮影で西日本エリアを担当していた。私で大丈夫だろうか。正直、戸惑いもあったが、少しでも役に立てることがあれば。そんな思いで、復興支援のチームに加わった。月の半分を東北の現場で過ごす激動の日々は、そうして始まった。(2018年3月17日掲載)

株式会社WATALIS 代表取締役 引地恵氏

早いもので、あれからもう7年。家がないときは仮設住宅を急いでつくって、次に完成したのは復興住宅。今度はまたゼロから住民コミュニティを立て直す。課題が次々と消えては現れる。果てしない課題との対話は、これからも長く続くのだろう。(2018年3月15日掲載)

一般社団法人まるオフィス 代表理事 加藤拓馬氏

あの震災の後、三陸沿岸部には歴史が始まって以来の瞬間最大交流人口が生まれたのではないか。国内外から多くの人、しかも様々な立場や年齢、スキルをもった人が一斉に押し寄せ、復興や社会課題解決の実験場となり、あちこちで様々な変化が起きている。(2018年3月14日掲載)

フリーランス編集者 木下真理子氏

「放射能って何?」「死ぬかもしれないの?」。原発事故や放射線量に関する得体の知れない言葉が飛び交い、不安と混乱が渦巻く。「これはフィクションなのでは?」。事故からの数カ月間は、まるで映画やドラマの世界にいるみたいだった。(2018年3月11日掲載)

福島県立医科大学 事務局総務課 主幹兼副課長/元・浪江町復興推進課主幹 玉川啓氏

「市民協働」のステージが変わり、その動きが飛躍的に進展した。あの震災を境に生じた社会、そして東北の変化を表すとき、私はこのことを最も強く感じる。
震災前に語られていた「市民協働」は多くの場合、その言葉とは裏腹に、あくまで地域づくりの主体は行政が担い、市民はそれに協力する。そういった考え方だったように思う。(2018年3月10日掲載)

キリン株式会社 CSV戦略部絆づくり推進室 地域創生担当専任部長 野田哲也氏

東北は、キリンにとって最大の勉強の場所だ。現地の人たちからよく「ありがとう」と感謝されるが、震災復興の活動で一番勉強させてもらっているのは、間違いなくキリンだ。そう断言できる。この経験がなければ、私たちは「食」を支える一次産業の実態をこれほど知ることはなかっただろうし、キリンの存在意義を真正面から捉え直すこともなかっただろう。(2018年3月8日掲載)

一般社団法人APバンク / kurkku alternative 代表取締役社長 江良慶介氏

巨大な揺れが大地を襲い、津波が町を飲み込んでいく。まるでフィクションのような現実が降りかかったあの日。自然の脅威を目の当たりにした僕らは、今までの価値観を地中の奥底から揺さぶられた。そして、日本中の人たちが大なり小なりこう考えたはずだ。「自分は今、どこに立っているのか」「自分にとって大切なものは、何だろうか」と。(2018年3月6日掲載)