
復興した南三陸町の町並み
2008年の大型観光キャンペーンを機に2009年に一般社団法人化し、地域の旅行会社として観光による町づくりの中核を担う。東日本大震災後は福興市や語り部ガイドによる学びのプログラムを実施するなど、他の被災地に先駆けて外部の人を受け入れた。大手旅行会社と開発した防災・震災学習プログラムは、地域相場の10倍という価格設定であったものの、全国の多くの団体から参加申し込みがあった。安定的な運営体制でニーズに応じたプログラムを展開し、実績は右肩上がりで2023年度は過去最高の売り上げになる見通し。
東日本大震災で一変した町の復興へ、観光促進で寄与
2008年にJR東日本が開催した大型観光キャンペーン「仙台・宮城デスティネーションキャンペーン(DC)」に向けて、南三陸町では地域の魅力を住民が知る、発見するために「ふるさと観光講座」を開催。この中から観光ボランティアガイドを提供する「ガイドサークル汐風(しおかぜ)」も誕生。このような時期に、旅行者を受け入れる観光地側が作る観光商品「着地型観光商品」を展開しようと、2009年に任意団体から一般社団法人化した南三陸町観光協会。第3種旅行業登録を行い、地域の旅行会社として出発した。
南三陸町と周辺地域の生活、文化や産業、経済の発展に寄与することを目的として、観光による町づくりの中核を担い、観光客の誘致を促進するとともに、観光地・観光物産の紹介、宣伝、観光施設の整備、関係者の資質向上を図って活動していたが、2年後に東日本大震災が襲う。
南三陸町では、商工業者の有志らによる福興市や、ガイドサークル汐風を中心に語り部活動が立ち上がり、外部からの人の受け入れが被災地の中でも早くから始まっていた。2012年2月には仮設の「南三陸さんさん商店街」がオープンし、佐藤仁町長も前面に立って情報発信を行ったことで全国メディアに取り上げられる機会が増え、多くの観光客を呼び込んだ。
2012年にオープンした仮設の「南三陸さんさん商店街」
そうした観光資源に着目した大手旅行会社が、復興支援の一つとして、旅行者を受け入れる観光地が作る観光商品の共同開発を協会に持ちかけた。被災を売り物にするのかという一部の地域住民の感情にも配慮して、物見遊山の視察メニューではなく、防災などの学びにつなげるプログラムであることを明確に打ち出した防災・震災学習プログラムが完成する。
被災地の視察や地域住民の講話を通じて住民の悲しい、大変な経験だけではなく、自然災害の脅威やこの震災で学んだこと、教訓になったことを伝えることで、震災の風化防止や防災に役立ててもらうためのプログラムとなった。
ニーズに応える形で観光商品やプログラムを続々と展開
旅行会社の設定した料金は、当時の地域相場の約10倍。高すぎるのではないかという心配はあったが、全国から団体客が続々と訪れ、多い時で年間450団体、1日1団体以上を受け入れた。個人でも「被災地を案内してほしい」という声があったが、最初は職員1人で担当していたために対応できなかったというほどの人気となった。
このプログラムの売り上げで職員を増やして体制を整え、団体客の受け入れも落ち着いてきたタイミングで、個人向けプログラム「まちあるき語り部」を開始する。受け付けを始めるとすぐに予約が相次いだ。
一方で、一日も早い復興が町の最優先課題で、観光協会としての事業再開のめどは立たず、解散の話も出たほどだったという。なんとか再出発することになるも、「リーダーを誰にするか」という問題に直面した。そんな時、当時の役員の中で最年少だった、水産業を営む株式会社丸荒代表取締役の及川吉則氏が会長に任命される。
「私自身は三役を経験したこともなく、水産や加工一筋で観光業の経験もない。初めは断ったのですが、解散の話も出たほどだったので、それならばと引き受けました」と及川氏は言う。
会長の及川吉則氏
新型コロナウイルスの感染拡大で人の往来が途絶えると、オンラインを活用した語り部プログラムを始めた。「苦肉の策でしたが、観光の動きが再開した後も、物理的な距離があってなかなか来るのは難しい方のニーズに対応できるので、これからも選択肢の一つとして残っていくと思います」と及川氏。教育旅行に来る学校が事前学習としてオンライン語り部を受講する場合もあるという。
「私たちが出したいものを出すというよりは、世の中のニーズに応えてきました。まだまだ応えられていない部分もあり、どうやったら実現できるか、スタッフと日々考えています」と及川氏。
プログラムの運営においては、語り手や語り部ガイドを務めてもらうなど地域住民の協力が欠かせないが、「協会の職員が考えたものを手伝ってもらう」という認識はない。主役はあくまで町民。南三陸は入谷、戸倉、歌津、志津川の四つの地区があるが、「それぞれの地区でみんなが関わって町づくりをする、観光商品を作る」という意識でやってきたという。
だから語り部ガイドもボランティアベースではなく、適切な謝金を支払い、その分しっかり提供してもらうという協力関係を最初から設定していた。「南三陸町観光協会と地域住民のどちらがいなくても成り立たない。両者で一緒にやる」という心づもりなのだ。
「この町はちょうどいい規模で、各地区でみんなが顔見知りというか、知らない人はいない感じで、一緒にやりましょうと言えば協力してくれる関係性があります。だから実現できているんだろうなと思います」(及川氏)
右肩上がりの実績も「ここからがスタート」 滞在型へ転換図る
2022年度は、教育旅行は122団体1万1,643人、防災・震災学習プログラムは172団体9,434人、まちあるき語り部は1,201人が参加。順調に数字を伸ばせたのは、前述のように防災・震災学習プログラムで、きちんと利益が見込めるよう価値に見合った料金を設定したことで、協会の職員の雇用を維持し、体制を強固にできたことが大きい。
協会が拠点を置いている「道の駅さんさん南三陸」
語り部プログラム自体は他の被災した地域でもあったが、活動資金を補助金で賄っているものは数年で活動を続けられなくなるケースが多い。「結果論にはなるんですが、われわれは十分な収入を確保できる形で始めたので、継続して提供できる体制がつくれました」と及川氏は語る。
右肩上がりに協会の収入は増えて、2023年度は過去最高の売り上げになる見通し。東日本大震災前は3人ほどの雇用を維持するのもやっとだったのが、現在では常勤が21人、アルバイトも含めて50人までスタッフが増えた。
入り込み客数も東日本大震災前の年間108万人を超える144万人に達し、コロナ禍で一度は落ち込んだものの、再び戻ってくるだろう。ただし、「人数が多ければ多いほどいいというものでもない。混雑しているからとすぐ帰ってしまったら、元も子もないですよね。受け入れる側の負荷だけが大きくなります」
「南三陸のエリア全体を広く使って滞在時間を延ばし、お客さんの数が変わらなくても金額が伸びていくような転換をしていく必要があります。いわば、ここからがスタート」と及川氏。「ますます地域との関係を密にしながら、南三陸を活気づけていければ」と、意気込み新たに前を向く。
一般社団法人 南三陸町観光協会[宮城県南三陸町]
https://www.m-kankou.jp/