第10弾 町内外の人たちと一緒に楢葉町の新しい歴史を築き上げる(一般社団法人 ならはみらい)

今後100年続く祭りとして誕生した「ならは百年祭」


 2014年6月、「『きずな・安心・活力』を取り戻し、町民が誇りを持てる魅力あるまちづくり」を目指して設立された復興まちづくり会社「一般社団法人ならはみらい」。町民で結成される「なにかし隊」、町外の人々で構成される「ならは応援団」という独自組織をつくり上げた他、起業を考える人たちなどへ向けた施設「CODOU」をオープンさせるなど移住定住促進事業にも力を入れ、楢葉町の新たな環境づくりに励んでいる。


新しいまちづくりへの第一歩は草むしりから

 東日本大震災に伴う東京電力福島第一原子力発電所の事故の影響で、全町避難を余儀なくされた楢葉町。先の見えない避難生活が3年以上経過した2014年5月29日、松本幸英町長が帰町判断を2015年春以降とする考えを示した。

 「あの決断がなければ今の楢葉町はないと思う。戻るか戻らないか多くの人が悩んでいるタイミングで一つの道しるべができた。避難生活開始から2年ぐらいたった時から町の復興に何かできないかを考えていた私にとっても、勇気をもらえる決断でした」

 こう語るのは、ならはみらいで代表理事を務める渡邉清氏。楢葉町で長年クリーニング店を営み、商工会会長も務めた人物だ。町の復興を強く望んでいた渡邉氏は、行政の復興計画にあった「町民が主体となったまちづくりを主導する組織」に賛同し、検討プロジェクトチームに参加。6月、12人の発起人と共に、ならはみらいを設立した。「いろんな議論をしてきましたが、町民にもわれわれと同じに気持ちになってもらうという点を明確にするのが大事だと感じました」と語る。

 まちづくり会社は発足したものの、まだ避難解除はされていない状態。人が立ち入っていなかったこともあり、田んぼを中心に草やツタが生い茂っていた。

 「久しぶりに入った町は、まったく音のない世界。イノシシはいましたが、カラスやツバメといった鳥の鳴き声も聞こえない。だから、『ここからどうすれば町を復興できるのか』という不安も頭をよぎりました。でも、できることからやろうと、草むしりから始めたんです」と渡邉氏。そこから、ならはみらいは町からの委託業務として仮設住宅への見守りを中心とした生活支援、飲料水のモニタリング検査など、帰町を願う人たちのための活動をスタートさせた。


一般社団法人ならはみらい 代表理事の渡邉清氏


町民はもちろん町外の人も巻き込んだ活動を展開

 組織として生活支援をしていく中で、町民から「自分たちも復興のために何かできないか」という声が多く聞かれるようになり、町民有志によるボランティアグループ「なにかし隊」が結成された。ならはみらいが事務局を担い、ボランティアのメンバーは、定期的に話し合いの場を設けて、やりたいことのアイデアも募った。

 その一つに「かかし制作」があった。2015年9月に避難解除となったものの、人口は減少。閑散とした町を少しでもにぎやかにするための策としてかかし作りが提案され、実施が決まった。「なにかし隊」のメンバーは、同じ施策で町の活性化を行っていた徳島県三好市のグループと連絡を取ってかかし作りのレクチャーを受け、制作に取りかかったという。出来上がったかかしは町内の公共施設などに置かれた。かわいらしい子どものかかしも作られ、子ども用の服を着たその姿は、子どもの姿が少ない町内にあって町民たちの心を癒やす存在となった。

 「かかし作りは、県内でも反響があった。かかしコンクールを開催するので出展してほしいと、福島県平田村の村長が楢葉に来てくれたんです。喜んで出展させていただき、市町村の部で金賞を頂けたのは本当に光栄でした」と語る。


福島県平田村のかかしコンクールに出展し、市町村の部で金賞を受賞


 町外の人たちにも協力を得る形で「ならは応援団」というボランティア組織をつくり、「花とみどりプロジェクト」を始動させ、2015年7月8日に最初の花植えを行った。また、町民の思いやこれまでの物語について学生がインタビューし、400字の文章と写真でポスター形式にまとめる「ならは31人の“生”の物語」制作活動も実施。他にも、ならは応援団はイベント運営のサポート、企画の提案、経済的支援など、いろいろな形で楢葉町の復興に貢献し、その活動記録がならはみらいのウェブサイトで紹介されている。

 「ならは応援団の登録者数は、団体、個人を合わせて300人を超えています。中には学生時代に参加した女性が、活動の中で楢葉が好きになり、楢葉で就職し、地元の男性と結婚したケースもありました。こういう出会いも、新しいまちづくりには欠かせないと思うので、さらなる交流拡大を進めていきたいですね」と語る。


若い世代が中心となる魅力ある楢葉町へ向けて

 組織発足から2023年で10期目を迎えたならはみらい。2018年には、町の中心地に位置する復興拠点「笑(えみ)ふるタウンならは」内にある複合商業施設「ここなら笑店街」と、交流施設「みんなの交流館 ならはCANvas」について管理を行う指定管理事業を、楢葉町から受託。他にも、多様なライフスタイルを実現できる環境を提供する「次世代型移住促進事業」を推進し、移住や起業に関心を持つ人に向けた施設「CODOU(コドウ)」を2022年に開設。さらに、所有者と利用希望者をつないで物件情報を登録・公開する仕組み「空き家・空き地バンク」の構築など、多岐にわたる事業を展開している。


複合商業施設「ここなら笑店街」


 また、笑ふるタウンならはでは、再生可能エネルギーを活用した地産地消と、エネルギーマネジメントによる低炭素で災害に強いまちづくりを進める「スマートコミュニティ事業」を実施している。また、2017年に稼働した波倉メガソーラー発電所を運営する楢葉新電力合同会社に行政からの出捐金(しゅつえんきん)2億7,000万円を出資。年間約5,000万円の配当金を受け取り、町づくりのための資金を確保する仕組みを作り上げた。

 「設立当初から、ならはみらいだけで町づくりをする考えはなかった。何もなくなってしまったところから、新しい楢葉町をつくり上げるには、行政はもちろん、企業、教育機関、町民など、たくさんの人の協力が不可欠。ならはみらいは、復興に関わるたくさんの人たちをつなぐためのパイプ役なんです」(渡邉氏)

 そんな中、2022年8月には今後の町のシンボル的イベントとしての期待が集まる「第1回ならは百年祭」が行われた。町内の若者を中心とした23名のメンバーが企画・運営にあたり、行政、ならはみらいはもちろん、なにかし隊、ならは応援団、古くからの企業、震災後にできた企業など、町に関わる多くの人たちによるアイデアを結集。「伝統・パフォーマンス」、「こども・あそび」、「グルメ・酒・マルシェ」をメインコンテンツとして、今後100年続く伝統となることを目指す祭りを誕生させた。

 「祭りには多くの若い世代が参加してくれた。町の将来を考えれば若い世代が中心となって動かなければいけない。だから、私のような高齢者は縁の下の力持ちとして若い世代をサポートする図式を作らないといけない。今は、その転換期に来ていると感じるので、組織としてもこれからが勝負になると思います」と語る。

 新しい楢葉町を担う若者たちへ、自身が経験したことを継承したいという渡邉氏。若い世代との交流の場にも数多く顔を出すなど、今できることを懸命に行う姿から、その思いが次世代の人たちにも伝わるはずだ。




一般社団法人 ならはみらい[福島県楢葉町]
https://narahamirai.com/