被災地で進む新しい挑戦や地域の魅力を特集記事で紹介します。

(写真3)2016年3月に生まれた「未来への学び」.jpg 災害とそれに続く復旧・復興支援活動は、多くの教訓を残す。それを体系的に整理し記録、公開するのが、IT企業、グーグルによるプロジェクト「未来への学び」だ。ばらばらな団体・個人の経験を共有の財産にする試みは、IT時代の語り継ぎといえるだろう。

 (写真6)フィッシャーマン・ジャパンのメンバーのみなさん.jpg2014年にフィッシャーマン・ジャパンが走り出してから、イベントへの出店や、プロモーション活動への参加などさまざまな誘いがあったが、イベントへ出店してみても、なかなかそれが継続的な活動に繋がらない。事業として継続するための具体的なプランが必要なのではないか。

愛さんさん宅食/ビレッジ株式会社 代表取締役 小尾勝吉氏

社会の「振り子」が戻り始めた。震災後の変化を一言で言うならこういうことだろうか。これまでの価値観が大きく揺さぶられ、生きる意味を見つめ直す種火のようなものが、個々の心の中で燃え出した。それは、行き過ぎた資本主義に対する「本当にこのままでいいのか?」という警告と揺り戻しだったのではないか。(2018年1月24日掲載)

 (写真4)一緒に漁に出る阿部さんと長谷川さん.jpg全国32万人の就労人口が20年で17万人まで減った水産業。東日本大震災が追い打ちをかけるなか、宮城県石巻市にあるフィッシャーマン・ジャパンは「担い手育成事業」と「水産物販売事業」を2本柱に、復興を超えた革新的な産業構築へ挑戦を続けている。

 野菜研究会のお母さんたち.JPG生まれ育った川内村には、住んでいる人々も気付いていない魅力がたくさんある。それを全国に発信していきたい。その思いが「川内の郷(さと)かえるマラソン」開催に結実し、地元特産品を紹介するネットサイトの立ち上げに繋がった。そして今一番力を入れているのが、村のお母さんたちの勉強会から始まった、ヨーロッパ野菜の栽培、直販である。

写真3「YO-TASHI」の外観.JPG

 福島第一原発の事故で全村避難を余儀なくされた福島県川内村。一時は人口ゼロとなった村には、避難解除後の今も震災前の賑わいは戻っていない。ふるさとを活性化するために、自分に何ができるのか。高校卒業後村を離れ、震災を機に約20年ぶりに帰村した渡辺正さんは、様々な困難に遭遇しつつ、少しずつアイデアを形にしていく。

一般社団法人ISHINOMAKI 2.0 代表理事 松村豪太氏

僕は震災前、石巻という町に不満とあきらめを抱いていた。徐々に広がっていく商店街のシャッター通り、閉鎖的な人間関係、古いしがらみ、力をもつ一部の人たちだけで決める物事の進め方、そんな地域に対して若者が抱く将来への閉塞感…。震災は確かに大きなダメージだったけど、単に震災前の状態に戻すだけでは不十分だった。(2018年1月19日掲載)

生産者と読者と編集部員の交流.JPG

 2015年4月に創刊した「こうふく通信」は、2018年2月には第12号を発行する。「こうふく通信」は、福島の風評被害払拭への貢献と編集部の高校生の成長という目的に向かって、どのように前進しているのだろうか。

ヤフー株式会社 社会貢献事業本部 CSR推進室 東北共創/一般社団法人フィッシャーマンジャパン事務局長 長谷川琢也氏

僕が東北に根を張り、「漁業に革命を起こす」と今も走り続ける動機と原動力は、どこにあるのか。僕がこの世に命を授かった「3月11日」という日、愛する弟の死、大好きな日本の原風景や地方衰退への危機感。僕自身のルーツを辿っていくと、それはどこか運命的なものでもあるような気がしている。(2018年1月5日掲載)