第1弾 個別の活動を「チーム」にまとめ、地域に根差した支援を展開(チーム北リアス)


 岩手県北部の沿岸にある野田村は津波で甚大な被害を受けた。多くのボランティアが支援に訪れたが、小さな村の役場は混乱状態。そこでつなぎ役を買って出たのが貫牛利一(かんぎゅう としかず)さんだ。個別に活動していた大学や団体を一つのチームとしてゆるやかにまとめ、情報共有と引継ぎを徹底し継続的な支援を展開した。「新しい東北」復興・創生顕彰の受賞について「やってきてよかった」と喜びつつも、「これで終わりではない。一人ひとりの心の復興が叶うまで寄り添っていく」と誓った。


ボランティアのマンパワーを無駄にしたくない

 貫牛さんは野田村に生まれ育った。高台にある自宅は津波の被害を免れたが、村は大変な状況だった。地元の仲間と連日復旧作業にあたったが、気になっていたのは、外部から訪れる多くのボランティアに災害対策本部が対応しきれていないことだった。せっかく足を運んでくれる人のマンパワーを持て余すのは、もどかしい思いだった。自分に何かできないか考えていた。

 2011年5月初旬、大阪大学の渥美公秀(あつみ ともひで)教授を紹介された。災害・防災の専門家で、特定非営利活動法人日本災害救援ボランティアネットワークの理事長を務めており、野田村へも震災後早い時期からたびたび学生とともに足を運んでいた人物だ。会って話すとその場で意気投合。5年、10年といった息の長い支援を目指していることも思いが合致した。渥美氏は関西圏や青森県の大学とのネットワークを持っており、二人は「それぞれが個別に活動するより、連携して一つのチームを作ろう」と構想した。

 同年6月11日、貫牛さんの自宅敷地内にプレハブを建てて現地事務所とし「チーム北リアス」が発足。構成団体は大学・高専の他、NPO法人や社会福祉協議会、青年会議所、任意団体などで、現地事務所長に貫牛さんが就いた。トレードマークは黄緑色の目立つビブスにした。


「今日も明日も来てくれる」の安心感

 当初のニーズは避難所から仮設住宅への引っ越しだった。学生らが積極的に力を出した。住まいが落ち着くと、孤立を防止するために企画した炊き出しやお茶会、イベントでは団体ごとの得意分野を生かした。

 「野田村の人は大学生なんてほとんど会ったことがないし、緊張もします」と貫牛さん。支援者と住人の交流の場を持ち、ニーズを把握したい が、正面切ってインタビューしてもなかなか本音は引き出せない。そこで「お茶飲みしましょう」と誘い、距離を縮めることから始めた。




 貫牛さんは学生に「メモを取るなよ」と伝えたという。目の前で記録されたとたんに、住人は緊張して話さなくなるからだ。頭に入れ、事務所に戻ったらすぐ書き起こし、チーム内で共有する仕組みを作った。

 個々の団体には得意分野があり、例えば写真を洗って持ち主に返す、温かい食べ物を作って振る舞うなど、活動内容は自由。規約も作っていない。「決めたのは、野田村のためを第一に考えることと、互いの活動を批判しないこと、くらいでした」と貫牛さん。


すべての人の心が復興するまで、チームは続く

 2012年の春頃から、食事や物資の完全無償提供をやめ、10円程度のわずかな額を設定することを心掛けた。集まった金額は社協などに寄付し復興に役立ててもらった。被災直後は物心両面で全面的に支援し、元気づけることがもっとも重要だったが、この頃には自立へ向けて、被災者の自発的な行動に寄り添い伴走する支援へとシフトする必要があった。

 現在は、以前のように毎日支援活動をすることはない。しかし事務所に貫牛さんが常駐することで全国にいるメンバーがつながり、チームとしての活動を継続できている。貫牛さんの自宅敷地には、チームのメンバーと一緒に植樹した桜の木が70本ある。「この木がある限り、チームの誰かが思い出して訪れてくれる。それが村民も私も楽しみです」。

 顕彰を受けたことは光栄に思っているが、受賞や「震災から10年」が区切りにはならない。「今の暮らしが幸せだ、と一人ひとりが思えることが復興。それが叶うまでチームの活動は続きます」。




チーム北リアス[岩手県九戸郡野田村]
http://northrias.grupo.jp