第7弾 精神障がい者に安心して暮らせる場所と生きる喜びを(特定非営利活動法人 あさがお)


 福島県南相馬市の特定非営利活動法人あさがおが運営する就労継続支援B型事業所「きぼうのあさがお」は、福島第一原発から31kmの地点にある。原発事故が起きたとき、理事長の西 みよ子さんは精神障がいを抱える訓練生約20人とともに避難したが、行く先々で差別を受け、心を痛めた。この経験をきっかけに、精神障がい者が安心して暮らせる場所を作ろうと、グループホームを次々と開設した。「新しい東北」復興・創生顕彰の受賞について、「思ってもいなかったことで光栄。2021年は活動を始めて20年の節目にあたり、今後への励みになります」と話している。


放射能と精神障がいへの差別

 西さんは高校時代の友人が身体障がいを持っていたことから、障がい者福祉に関心を持った。「いつか必ず福祉の仕事を」と思いを温め続け2002年、50歳で小規模作業所「あさがお」を創設。04年に特定非営利活動法人あさがおを設立すると、08年に地域活動支援センター「いっぽいっぽ あさがお」、09年に就労継続支援B型事業所「きぼうのあさがお」を立ち上げる。

 精神、身体、知的の障がいを持つ人が、大豆栽培、豆腐・味噌など大豆製品の製造、軽作業、資源回収などの作業を行った。並行して精神障がい者のためのグループホーム「いやしの家」も3ヵ所運営し、活動は順調に広がっていた。そんな中、東日本大震災が発生、福島第一原発事故が起きた。

 拠点は原発から31キロ地点。西さんは、行き場のない精神障がい者とともに避難することを決め、支援者を含めた26人で車に分乗し西へ向かう。しかし、行く先々で「放射能」「精神障がい」をキーワードに差別を受けた。2週間後、心身ともに憔悴した一行は南相馬へ戻る。


震災後に4つのグループホームを開設

 地元へ戻った入所者や自分たちの生活をどうにかしなければならない。もともと「きぼうのあさがお」の豆腐は評判が良かったが、上質な青ばた豆を原料とするため価格が高い。「地元では売れないと思って」、西さんは東京へ向かう。避難者向けに無料開放していたホテルに滞在し、事業所で作った豆腐をどんどん売った。さらに専門学校の夜間部に通い、2012年精神保健福祉士の資格を取った。とにかく必死だった。

 1年後、資格を取って地元に戻ると、グループホームの新設に奔走する。すでに3ヵ所を運営しているが足りないと考えたのは、放射能への差別、障がいへの差別と、つらい思いの連続だった避難生活の記憶からだ。他の精神障がい者が大変なストレスを強いられていることは容易に想像できた。福島県から避難した精神障がい者のうち半数がその後に死亡したという情報も、使命感に火をつけた




 障害者の入所は次々に行政から紹介された。以前は地域の病院と連携し、入所者の体調が悪くなればすぐに診てもらえたが、震災後どの病院もスタッフが避難して休診していたため苦労した。「病人を車に乗せたまま途方に暮れたことも、何回もあった」と振り返る。資材と建設費の高騰も立ちはだかった。それでも、西さんらは踏ん張り、震災後2011年~2017年にかけて4ヵ所のグループホームを開所した。

より良い環境をより多くの障がい者へ

 活動を始めた頃、社会は今よりもっと障がい者への理解がなかった。特に精神障がい者は「いらない」「危険な存在」とみなされた。しかし長年の地道な活動が実を結んで「あさがお」は地域にしっかり根付き、活動は着実に成果を上げている。事業所で作る豆や大豆製品、弁当、スイーツなどの認知度も上がった。月額平均4万円という福島県でもっとも高い賃金を実現していることは誇りだ。

 障がい者にとって働くことのハードルは高い。けれども、必要とされて生き、収入を得て望む生活を実現する喜びを、障がい者にも感じてほしい。自立して暮らすには、障害年金の他に収入として月額7~8万円が必要だから、平均4万円ではまだ少ないという。いつも運営は苦しいが、あらゆる工夫と努力で安定した資金調達を目指す。

 「今ね、大当たりする新商品を考えてるところなの」と夢を語るスタッフの皆さんの表情は明るい。目標は、活動の持続にとどまらず、より良い環境をより多くの障がい者に提供することだ。今回、顕彰の受賞は思いもしない出来事で驚いたという。「20年コツコツやってきたご褒美をいただいた気持ち。これを励みにまたみんなで頑張ります」と話した。




特定非営利活動法人 あさがお[福島県南相馬市]
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