第8弾 まちの「いま」を伝え、未来へつなげる新聞をつくる


 岩手県大槌町で震災後、町民目線による情報発信の必要性を痛感し、「町民による、町民のための新聞」をコンセプトに大槌新聞を立ち上げた菊池由貴子さん。町役場や議会をはじめ、町内を精力的に取材し、分かりやすい記事で問題提起を続け、地元のマスメディアとして認知された。「新しい東北」復興・創生顕彰の受賞について、「これまでの活動が理解されてうれしい」と菊池さんは喜びを語った。


町民目線で大槌町の現状を発信し続ける

 一面にクローバーが生い茂る広場には、かつてあった町役場の面影はなかった。東日本大震災の津波によって壊滅的な被害を受け、多くの職員が犠牲となった旧大槌町役場は、2019年1月に取り壊されていた。

 「犠牲になった方や震災を知らない子どもたちのために、建物を残せなかったことは悔しい」と一般社団法人 大槌新聞社の菊池由貴子さんは肩を落とす。大槌新聞は、まちの情報を発信するため、2012年6月に創刊。紙面を通して菊池さんは、役場を急いで解体しないよう熟慮を求め続けたが、願いは届かなかった。

「これが町の現実。だからこそ、これからも大槌の『いま』を多くの人々に伝えなくては」と菊池さんは静かに語った。

マスコミ報道のあり方に疑問を覚え、自ら情報発信に動き出す

  2011年、これまで近隣4市町をカバーしていた地域紙が、津波被害の影響で廃刊に追い込まれると、大槌町の情報が住民に届きにくくなった。「情報過疎に陥ったことで、情報が無いことの恐ろしさを痛感しました」と菊池さんは話す。

さらに、町外のマスコミ報道は「お涙ちょうだい」の視点が多く、「次」の教訓につながるような内容がほとんどないと違和感を覚えたという。「まちの復興を町民みんなに伝え、共有したいという思いも募りましたし、何よりまちの情報は『町民自ら』『町民目線で』『町民向けに』発信すべきだと思いました」

無いのであれば自分で作ればいい——。菊池さんは、取材に必要なカメラやICレコーダー、編集に必要なパソコンや編集ソフトなどを自費で購入し、大槌新聞を立ち上げた。最初は、A3判両面2ページでスタート。コピー機で数十部をプリントし、所属していた復興支援団体の建物や仮設住宅集会所などに貼り出したり、町内外の希望者に無料で配ったりした。

大きい文字で少ない字数、難しい表現を避けるなど高齢な読者にも配慮した記事は、「読みやすくて、分かりやすい」と評判を呼んだ。2013年4月からは、タブロイド判4~8ページを町内全戸に配布。創刊から2020年3月まで一時期を除き、毎週無料で情報を届け続けた。

「問題提起すればするほど反発も強くなったが、『このまちを良くしたい』という思いだけで毎週必死だった」と菊池さんは振り返った。

これまでの活動への理解が結んだ顕彰受賞

 「新しい東北」復興・創生顕彰への応募の推薦を受けた時も、「活動を見てくれている人がいるんだなと思いました」と話す菊池さん。これまでの活動で得た経験や情報を紙面以外でも有効に活用しようと、今後は町内での被災地ガイドや町内外での講演を計画しているという。

大学生の頃、病気で心停止した後遺症で、今も深刻な不整脈に悩まされている。目にも重い病気を抱えるという。「現時点では、私が新聞づくりを継続できなくなればそれまでです。そうなる前に、私が持つ人脈や知識、資料などを引き継ぐことも考えたいのですが、なかなかそこまで手が回らない状況です」

これからも体力が許す限り、「報道や防災、地方自治のあり方を大槌町から問題提起したい」と語る菊池さんは、今日も町内外を駆け抜ける。




一般社団法人 大槌新聞社 [岩手県大槌町]
http://www.otsuchishimbun.com/