第7弾 カーシェアリングが生み出す、支え合う地域づくりとモビリティレジリエンス(前編)

東日本大震災の被災地では、震災前から地域が抱える問題が、震災によってさらに目立ってきています。震災をきっかけに、様々な団体がこうした問題の解決に向けて取り組んでいます。本連載では、地域の抱える問題を解決するため、大きな貢献をされている個人や団体の活動を全20回にわたって紹介します。


カーシェアリングを通して被災地支援を行いながら、支え合う地域づくりと新しい車文化の創造を目指している一般社団法人日本カーシェアリング協会(宮城県石巻市)。主な事業として、カーシェアリング・コミュニティサポート事業、ソーシャル・カーサポート事業(地域貢献になるようなレンタカー&リース)などに取り組んでいる。また、一般社団法人OPEN JAPANと密接に連携し、東北以外の被災地に対しても支援を行っている。

「素人」から始まった試行錯誤

東北のほとんどの地域では、日常生活の中で車は欠かせない移動手段だ。各家庭に1台あるのは当然のこと、家族それぞれが自分の車を持っていることも多い。東日本大震災で大きな被害を受けた際、一切の家財道具を失った人が最初に買い戻したいと思ったものの1つが車だった。


そうはいっても、そもそも地域の車はほとんどが津波で流されてしまっている。失われた数をすべて取り戻す余裕はなかなか生まれそうにない。そうした中、宮城県石巻市の渡波地域で車を共有する仕組み、つまり「コミュニティ・カーシェアリング」の取り組みが始まった。


日本カーシェアリング協会の代表を務める吉澤武彦さんは、元は大阪で仕事をしていた。震災が起こったのは、いったんビジネスの現場を離れ、大阪でさまざまな社会活動にかかわっていた頃だ。


兵庫県姫路市出身の吉澤さんは、地元で阪神淡路大震災を経験しているが、当時はまだ高校1年生だったこともあり、復興支援に取り組む機会はなかった。だが、大阪の会社を退社した後、「神戸元気村」代表として7年半にわたって支援活動に携わった山田バウさんと知り合い、師匠のように慕ってきた。実はこの縁が、日本カーシェアリング協会誕生の背景にある。


東日本大震災後、吉澤さんが福島の子どもたちを関西に疎開させるなどの支援活動を続けていた頃、カーシェアリングを強く勧めたのが、この山田さんだった。当時はまだ、全国的にカーシェアリングが浸透しておらず、吉澤さんにとっても初耳だった。そもそも、吉澤さんは免許を持っていたとはいえ、完全なペーパードライバー。車のことは、ほぼ何も知らない「素人」だったといってもいい。だが、尊敬する師匠の提案に乗ってみようと、ゼロからの挑戦に乗り出した。


日本カーシェアリング協会の代表理事・吉澤さん。

日本カーシェアリング協会の代表理事・吉澤さん。

まず、何はともあれ車がないことには始まらない。そこで2011年4月、「会社四季報」を片手に一部上場企業を次々と訪問し、車を提供してくれるよう呼びかけ始めた。なかなか理解を得られず当初は難航したが、2011年5月、ようやく1台目を提供してもらえる人が現れた。ここから、いよいよ地域での活動が始まった。


移動手段の確保がコミュニティ形成につながる

ただ、せっかく車があっても、それをシェアして活用してくれる人を見つけなくてはならない。改めて石巻に入った吉澤さんは、辺り一帯の仮設住宅を「アンケート調査」と称して訪問することにした。一緒にカーシェアリングに取り組めそうなパートナーを探すのが目的だ。うってつけと思える人に出会ったのが、市内の渡波地区にある約100世帯の仮設万石浦団地だった。これで、カーシェアリングの実施場所が決まった。


その後、テスト運行を開始したのが7月下旬。本格的な活動に備えて日本カーシェアリング協会の法人化も済ませた。地域のメンバーと運用方法の協議を始めると、話題はカーシェアリングにとどまらず、どうしても生活の苦労全般にわたる。しかし、逆にこれがよかった。週1回の「おちゃっこ」(お茶を飲みながらお菓子や漬物などを食べつつ、おしゃべりする東北独自の文化)では、移動の不自由さ以外にも多くの課題を語り合い、月1回のゴミ拾いも始まった。


最初の会合に集まったのは5人だったが、そうこうするうちに、徐々に新たな顔ぶれも増え、仮設住宅内のつながりができ始めた。例えば、病院通いのタクシー代が負担になっているお年寄りがいると聞けば、メンバーが送迎を買って出るなど、自然発生的な支え合いが生まれ育っていった。カーシェアリングの取り組みが、単なる移動手段の確保でなく、コミュニティ形成にも貢献することが見えてきたのだ。


一方で、さまざまな行政手続きには苦労もあった。当時、被災地以外でカーシェアリングに取り組んでいる地域では、一般にレンタカーのスキームを使っており、地域で車を共同利用するという制度は整っていなかった。そのため、複数利用者との契約方法や鍵の管理方法など、警察署や県運輸支局との間で詳細な確認が必要だった。仮設万石浦団地でテスト運行を進めながら、こうした公的機関との折衝にも心を砕いた。


その甲斐あって、ようやく10月には団地内の車庫証明が取れ、本格運行を開始できるようになった。事業の着想を得てから1台目の車を得るまでに3カ月、諸々の手続きに3カ月、計半年がかりでようやく正式始動にこぎつけたことになる。


仮設住宅で車(EV:電気自動車)を活用した防災訓練も実施。

仮設住宅で車(EV:電気自動車)を活用した防災訓練も実施。


地域住民の主体性を支える仕組み

この取り組みがメディアで取り上げられると、利用希望者や車両提供の申し出が徐々に増えていった。2012年初頭には、中古車販売のガリバーインターナショナル(現・株式会社IDOM)から合計31台もの寄贈を受け、活動が軌道に乗るきっかけとなった。


石巻市の協力も大きかった。同年2月、仮設住宅の集会場の一室に、市のサポート機関として「カーシェアリング・コミュニティ・サポートセンター」が設置され、活動拠点も確保した。センターの主な業務は、車両管理に加え、カーシェアリングの導入・維持・発展のサポートなどだ。このセンター業務を日本カーシェアリング協会が受託し、利用者の中から熱心な人にも手伝ってもらうようになった。


翌3月からは石巻市外の仮設住宅でもカーシェアリングが始まり、運用の工夫が求められるようになってきた。カーシェアリングが地域に役立つ仕組みとして機能するには、単に車があればいいわけではない。利用者である地域住民がグループをつくり、必要な経費負担のことや車の予約方法など、細かいことを決めていかなくてはならない。つまり、住民が主体的かつ継続的に無理なく運営にかかわる必要がある。それをサポートするのもセンターの重要な役割の1つだ。


こうして、被災地で暮らす人々に寄り添ったカーシェアリングの事業を進めてきたが、東日本大震災から早7年、地域のニーズはそのときどきで常に変化し続けている。ある程度の復興が進んだ今、カーシェアリング事業も新たなフェーズを迎えつつある。日本カーシェアリング協会は、そうしたニーズの変化にどう対応し、乗り越えてきたのだろうか。


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