東日本大震災の被災地では、大きく姿を変えたふるさとの復旧・復興に向かい、困難を克服したり、震災前からの課題を解決したりするさまざまな取り組みが続けられています。本連載では、昨年度「新しい東北」復興・創生顕彰を受賞された個人・団体の活動を紹介します。
仮設住宅の灰色の外壁をアートで彩ってみたいという高校生の思いは、大人たちにも共感を呼び、様々な支援となって「マグネットぬりえプロジェクト」を後押しした。釜石市の仮設住宅は2018年に、その大半の供与が終了する予定だが、プロジェクトは街に、そして他の地震被災地へと広がっている。
周囲が、次々とプロジェクトの後押しをしてくれる。それは、ありがたいことなのだが、寺崎さんはプレッシャーを感じ始めていた。「高校生が一人だけで、たくさんのマグネットアートを集めることなんてできない。どうしたらいいのか……」。
「マグネットぬりえプロジェクト」の提案は、社会起業支援NPO「アショカ・ジャパン」からも認められて、寺崎さんは2014年11月、「アショカ東北ユースベンチャー」のベンチャラーの一人に選ばれた。そこで、1年間の活動資金も受け取ることができた。
そこで、まず、日比野克彦氏とのコンタクトを試みた。だが、なかなか連絡がとれない。途方に暮れていた2015年5月、釜石市で地域のために立ち上がった人々の支援活動をしている「三陸ひとつなぎ自然学校」の伊藤聡代表理事から、日比野氏が東北に来ていることを教えてもらい、紹介してもらうこともできた。
寺崎さんは、約15分の面会時間の中で、プロジェクトのこと、それをやりたい理由を懸命に訴えた。すると、日比野氏も「一緒にやりましょう」と支援を快諾してくれた。すぐにマグネットシートのメーカーも紹介してくれて、マグネットシートの提供もしてもらえるようになった。
ここからプロジェクトは一気に進んだ。8月には仙台市のイベント会場で、マグネットアートのワークショップを開催。参加者に、思い思いのハートをデザインしたシールをあしらった10センチ四方のマグネットシートを作ってもらうことができ、約1,000枚が集まった。
さらに、震災後のボランティア・コーディネートをしていた「三陸ひとつなぎ自然学校」を訪れた、大学生や社会人のボランティアからも協力を得ることができた。しかも、そのボランティアの人たちは、地元に帰った後、周りの人に呼びかけてくれたことで、マグネットアート作りの輪は全国に拡大。SNSでの呼びかけもあって、その年の9月までに計約6,000枚のマグネットアートが全国各地から寄せられた。
そして、9月20日には、寺崎さんが住んでいた昭和園の仮設住宅で、日比野氏らとイベントを開催。子どもからお年寄りまで、住民にもマグネットアートを作ってもらい、全国から届いたものと合わせて、仮設住宅の外壁にマグネットアートをパッチワークのように貼って飾り付けた。当日は、東京など遠方からもわざわざ足を運んで参加してくれた人もいた。「びっくりすると同時に、とてもうれしかった」と寺崎さん。プロジェクトは大成功だった=写真4、5。
(写真4:左)マグネットを貼る寺崎さん
(写真5:右)イベント参加者の記念写真
これを受けて、翌2016年3月には、釜石市からの依頼を受けて、市民ホールの工事現場を囲んでいた白い安全鋼板をマグネットアートで彩るイベントも開催。マグネットぬりえプロジェクトは、仮設住宅にとどまらず、まちを彩る形で発展していった=写真6、7。
(写真6:左)釜石PITを彩るマグネット
(写真7:右)青葉公園商店街のプレハブ店舗にもマグネット
2017年3月には、熊本市現代美術館の「「3.11→4.14-16 アート・建築・デザインでつながる東北⇔熊本」展で、日比野氏が被災地支援の全国的なプロジェクトとして展開する「ハートマーク・ビューイング」としてマグネットアートが展示され、仙台と釜石で作られたマグネットアートと、熊本で作ったマグネットアートを交換。被災地同士、心を交わすツールにもなった。
今後は、2019年のラグビーワールドカップ開催地に向けても、開催地になっている釜石のまちを盛り上げていくために使えないか、など、仮設住宅を飾ったマグネットアートは、様々に可能性を広げている=写真8、9。
(写真8:左)釜石市鵜住居地区に立つラグビーワールドカップの案内板
(写真9:右)造成工事の続くラグビーW杯2019の鵜住居(うすのまい)会場予定地
震災当時、小学6年生だった女の子は、2017年春、首都圏の大学の1年生になった。昭和園の仮設住宅は2016年に取り壊され、寺崎さんも実家の釜石市の仮設住宅を離れた。しかし、プロジェクトは終わらない。東北を訪れた修学旅行生にマグネットアートを作成してもらい、東京の学校の場合は後日、寺崎さんが講演に行くといった地道な取り組みが今も続く。
思いを口にすることで、多くの大人たちが支えてくれた。「高校生だからこそ、できることというものもあるのだと思います」。寺崎さんは仮設住宅で過ごした6年を、そう振り返る。大学生になって、これからどう地元の釜石に関わっていくのか。寺崎さんは、そう自問しながら、大学でまちづくりについて学んでいる。
現在の寺崎さん