東日本大震災の被災地では、大きく姿を変えたふるさとの復旧・復興に向かい、困難を克服したり、震災前からの課題を解決したりするさまざまな取り組みが続けられています。本連載では、昨年度「新しい東北」復興・創生顕彰を受賞された個人・団体の活動を紹介します。
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第4の事業は、東京・日本橋に本社がある耐熱ガラスメーカーHARIOのガラスアクセサリー製造直販店「HARIOランプワークファクトリー小高」=写真15~17=だ。耐熱ガラス棒を小型ガスバーナーで溶かしてネックレスなどの装飾品を作る工房だ。
(写真15)HARIOランプワークファクトリー小高の商品
(写真16)作業する女性
(写真17)HARIOランプワークファクトリー小高のロゴ
「(原発事故後)若い人は戻ってこない、という地元住民の根強い固定観念を何とかしたかった。年寄りの楽園にしよう、という話もあった。僕は子連れで帰る気満々なのに」。突破口を探した。「住まないまでも、仕事があれば通っては来ると思った。ではどんな仕事ならいいのかと考え、当たり前だけど魅力的な仕事をと。誰に働いてもらいたいのかといえば若い女性。避難区域で若い女性が集まって働いているとインパクトが大きいだろうと」
そんな時、東京から小高へボランティアに来ていたHARIOの職人から「こんな仕事があるよ」と教えられた。HARIO側はガラス職人の高齢化の問題を抱えているという。
和田さんはピンときて即決した。理由は三つ。
1.一般的に非正規労働者やパート従業員は不安や不満を抱えがちといわれるが、悩みを解決する仕事をつくれば若い女性は集まる。職人の仕事なので、技量が上がれば手に職がつく。そうなると自分の将来像をイメージしやすい。
2.成果報酬にすれば、収入と仕事量を自己コントロールできる。一日1時間しか働けない人もフルタイム働ける人も就業可能。技術が身に着けば、ほかの人に教える仕事もできる。
3.製品が可愛くておしゃれ。
最初は週1回、4カ月間の体験教室を開催。メディアやSNSを通じて告知し、山形など県外組を含め約70人を集めた。研修36時間、練習3カ月間を経て、一番簡単な品を作れるようになった人から順に働いている。現在の従業員は乳児を抱える人や東京からの移住者を含め7人。
「若い女性たちが働く姿を街の光景にしたい」と工房の窓は大きくした=写真18。その光景から「小高にカフェを出店したい」人も現れた。ここの経営は「もうすぐ黒字」だが、「発注はたくさんもらっているのに、まだまだ技術が低いので、できる品が限られている」と打ち明ける。
(写真18)工房の大きな窓
OWBの事業は多岐にわたる。例えば、南隣・浪江町の農家組合の事務局。和田さんは「いずれ農業を再開する時に、何を栽培してどこへ売るのかを一緒に考えることによって農家との関係性をつくることが裏ミッションとしてある」と語る。
ほかにも、県の委託で1週間~1カ月間の「お試し移住」のためのシェアハウス(原町区・新地町)=写真19=運営や、市の地域おこし協力隊の事務局などをしている。「何でもやるというわけではない。ボランティアの仕事ではなく事業性があるというポイントは外したくない」
(写真19)南相馬市原町区にあるシェアハウス
18年度には10のプロジェクトを始める。「100%安全と信じていた原発の事故で、あるべき未来を奪われた小高区。どうせ予測不能なら、誰かが創り上げたものに身を委ねるのではなく、自分が望む未来を自ら創るべきだ」と和田さん。「予測不能な未来を楽しもう」をコンセプトに、地域おこし協力隊制度を活用した起業家誘致事業プロジェクトの推進組織「Next Commons Lab南相馬」を設立する。その中心メンバー3人を募集している。
「会社が持続性をもった経営ができていること」「我々が地域の起業マインドを牽引し、我々といろんなプレーヤーのつくる事業によって課題が解決されるような風土をつくる」ことを10合目とすると今は「まだ1合目。これからが本当のスタート。今後、状況も課題も変わってくるので、臨機応変に事業展開したい」と話す和田さんの目線はあくまで高い。
☆ 筆者は、津波の被害面積が約16平方㌔で3区中最大の鹿島区を短時間訪ねた。千倉地区のプレハブ仮設住宅=写真20=では全94世帯中21戸が暮らす(17年8月末現在)。南右田地区には、世界的に有名になった岩手県陸前高田市と同じように、津波から奇跡的に生き残った「かしまの一本松」=写真21=がポツンと立っている。地元有志が保存活動や写真コンテストを続けているという。
(写真20)8月末現在で全94戸中21戸が暮らす南相馬市鹿島区千倉のプレハブ仮設住宅
(写真21)南相馬市鹿島区にある「かしまの一本松」