
岩手県宮古市の海沿いに位置する宮古工業高校では、生徒たちが模型で津波の恐ろしさを伝える「津波模型班」という活動を行っている。地図や地形図をもとに作成した地域の立体模型に大量の水を流すことで、津波の浸水域や正しい避難場所を示し、防災について考えてもらう取り組みだ。担当教員の山野目弘氏は今まで、市の内外の小・中学校やイベントなどで模型を使った「出前授業」を15年間にわたって行ってきたという。
模型を使って津波の恐怖をわかりやすく伝える
山野目氏が生まれ育った岩手県釜石市は、昔から津波の被害に悩まされてきた地域だ。だからこそ幼いころから、家族や親戚に昔の津波のことを教えられてきた。「家や地域の中で防災教育が自然に行われていたのです」と山野目氏は語る。
しかし山野目氏が1986年に宮古工業高校の教員に就いたとき、以前に比べて津波に対する防災意識が低くなっていると感じた。「防潮堤が整備されて住民の間に安心感が生まれる中で、津波を語り継ぐ習慣がなくなっていったのではないか」――山野目氏はそう推測する。
そこで2005年から機械科実習の一環として、津波模型班の活動を始める。東日本大震災を経験した今でこそ、このような活動の意義は誰しもが認めるところ。しかし東日本大震災の起こる前には、ある地区の人から「本当にそんなに高い津波なんて来るのですか?」と不思議そうに言われたこともあった。だが、その地区は東日本大震災の際の津波で一部が壊滅してしまったという。
「津波は3〜4メートルの防潮堤を乗り越え陸地を襲いました。防潮堤があるから安心という考えはやはり間違っていたのです」と、山野目氏は防災教育の意義を強調する。事実、東日本大震災の前に出前授業による実演を行ったいくつかの小学校では、津波による学内での児童の犠牲者は一人も出なかったそうだ。

“私の住んでいる地区だけは大丈夫”――そんな根拠のない思い込みを子供たちに持ってほしくないと、今まで市内の複数地区の模型を作り、出前授業では可能な限り訪問先の模型を使ってきた。自分の知っている建物や場所のある方が、より生々しい実感を持って津波をイメージできるからだ。
津波模型班には出前授業を小学生のころに受けた生徒も所属している。その一人の伊藤優作君は、「小学生のときは『本当にこんな災害が起こるのだろうか?』と疑問に思いました。しかし2011年に実際に津波を経験し、その恐ろしさを伝え続けなければいけないと考えて模型班に入ったんです」と教えてくれた。ほかの生徒たちも一様に「津波の恐怖をわかりやすく伝えて犠牲者を一人でも減らしたい」と活動の意義を語る。
「地震や津波という災害は滅多に起こらないから、経験したことのない人にはどれほど言葉を尽くしても実感がわきにくい。その点、たとえ模型でも実物を目の前にすることで、“なるほど、津波とはこんな災害なのか”とイメージを持ってもらえるはずです」(山野目氏)
地域内外の人に津波の恐ろしさを知ってもらい、正しい防災意識を持ってほしい――そんな想いで15年目の活動にも精力的に取り組んでいる。
岩手県立宮古工業高等学校(岩手県宮古市)
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