第5弾 先進的な花農家モデルで若者にアピールする浪江町の挑戦(特定非営利活動法人Jin)


福島第一原子力発電所の事故により全町避難を強いられた福島県浪江町。その浪江町で高齢者・障害児の通所施設を運営していた特定非営利活動法人Jinの代表、川村博氏は、避難当初からずっと“帰還後の浪江町”のことを考え続けていた。避難指示解除後、いち早く帰還した川村氏が手掛けた事業は意外なものだった。


美しい故郷の風景のために、どうしても農業が必要

東日本大震災前、Jinは、高齢者・障害児のデイサービス、リハビリ施設等を運営するとともに、約3haの畑で無農薬・無肥料での野菜栽培、ニワトリ・ヤギ・ウサギの飼育をしていた。


しかし、福島第一原子力発電所の事故により、浪江町は全町避難。Jinが運営していた各種の事業も休止を余儀なくされたが、代表の川村博氏は、浪江町の復興を信じ、帰還後の事業のあり方や住民の暮らしについて考え続けていた。


最初の転機は、2012年4月。Jinは、浪江町の北側に隣接する南相馬市に「サラダ農園」を開設した。浪江町出身で各地に散らばっていた高齢者や南相馬市の障害者たちが、バスでサラダ農園に通い、畑で野菜を作り始めた。


川村氏は、「いずれ帰還したときの浪江町は荒れ果てているだろうが、故郷の風景は美しくなければいけない。でも、誰がそれをやるのか。それは、農業者だろう。しかし、戻ってくる若者はいない。ならば、障害者や高齢者たちで農業を、復興を、担おうじゃないか」と、考えたのだ。



2013年4月、Jinの事業所があった浪江町幾世橋地区が避難指示解除準備区域に再編され、日中の立ち入りが可能になった。これを受け、Jinは南相馬市と同様のサラダ農園を始めたが、野菜から基準値を上回るセシウムが検出され、出荷は叶わなかった。


そこで、川村氏は、福島県農業総合センターや浪江町からアドバイスを受け、2014年から、出荷制限のない花き(トルコギキョウとリンドウ)の栽培に取り組んだ。花き栽培の経験のない川村氏は、農業総合センターや双葉農業普及所の指導を受けた他、独自に勉強も重ねた。
その甲斐あって、Jinが生産するトルコギキョウは市場で次第に高く評価されるようになる。初年度(2014年度)の収穫後期には、高額の単価で取引されるようになった。


Jinの花き栽培事業は軌道に乗ったが、川村氏は、もっと先を見据えていた。


「10年後、20年後の浪江町を考えたとき、Iターン、Uターンで若い人に来てもらうことが必要です。若い人に農業を始めてもらうため、私が提案しているのが、『週休2日で、手取り500万円以上の花農家』モデルです。」(川村氏)。


2017年3月31日、浪江町の一部地域の避難指示が解除され、川村氏は浪江町に戻り、Jinも元の施設を再開した。居住可能になった今、川村氏が実証した「週休2日で、手取り500万円以上の花農家」モデルは、新規就農者、浪江町の定住者を増やすための鍵になっている。実際、3人がUターンで花栽培を始め、3人の研修生が浪江町で花農家を目指し、目下Jinで勉強中だ。


「浪江町全体で花の出荷額年間1億円」「浪江をトルコギキョウ生産日本一の町に」という目標を掲げる川村氏は、「元どおりにすることはできませんが、前より良い町にすることは可能です」と力強く語る。


特定非営利活動法人Jin(福島県浪江町)