第2弾 逃げて、生き延びる。防災訴え続ける「津波伝承館」5年半の軌跡

津波の恐ろしさや防災の重要性を、地道に語り部として活動を続けている「津波伝承館」が岩手県大船渡市にある。被災当時の生々しい映像や写真、またそれを使った語り部による被災体験に触れようと、国内外から多くの人たちが訪れている。全国的に自然災害が多発する中、防災の必要性を感じることのできる貴重な場所だ。

しっかり避難していれば、助かった命がある。

巨大な濁流が建物を次々となぎ倒し、そこにあったはずの町が跡形もなく飲み込まれていく。震災発生当日の2011年3月11日に、大船渡市で撮影された映像だ。JR大船渡駅前にある大船渡市防災観光交流センターでは、当時の被災の様子を伝えるこうした貴重な映像や写真が今も展示され、津波の恐怖や防災の重要性を後世につなごうとしている。


大船渡市防災観光交流センター内にある展示スペース。

大船渡市防災観光交流センター内にある展示スペース。


この展示を企画・運営しているのは、一般社団法人大船渡津波伝承館。代表理事・館長の齊藤賢治さんが自ら撮影した津波襲来時の映像や、市民から寄贈してもらった写真を中心に展示し、見学者には語り部の被災体験も聞かせている。そんな伝承活動を続けて、かれこれもう5年半が過ぎた。


「押し寄せる津波の様子を自分で撮影したことが、結果的にきっかけになった」。館長の齊藤さんは、伝承活動を始めた経緯をそう話す。震災発生当時、地元の菓子メーカー・さいとう製菓株式会社の専務だった齊藤さんは、高台へ逃れ九死に一生を得た。しかし、陸前高田市に住む叔母を亡くした。


3月13日、その叔母を探しに徒歩で陸前高田市へ向かうと、そこにはこの世のものとは思えない悲惨な光景が広がっていた。住宅が粉々に破壊され、道路は瓦礫で埋め尽くされ、ブルーシートで覆われた遺体がそこかしこに横たわっている。「最初に見たときは、何が何だか状況を理解できなかった。家族に看取られて死ぬのが一番の幸せなはずなのに、誰にも看取られることなく亡くなった人たちのことを思うと、気の毒でならなかった。」齊藤さんは、当時の心境をこう振り返る。


代表理事で館長の齊藤さん。津波の様子を自ら撮影していた。

代表理事で館長の齊藤さん。津波の様子を自ら撮影していた。


その年の11月、東京から来た経営者やビジネスマンたち30人ほどに、自身が撮影した映像とともに津波の様子を話す機会があった。すると後日、その来訪メンバーの1人だった監査法人トーマツの社員から連絡があり、「あの映像を使って津波の資料館をやったらどうか」と提案された。また齊藤さんによると、これは後にわかったことだが、岩手県内の津波による犠牲者のうち、実に約65%がそもそも避難しなかったり、避難途中であったり、あるいは自宅などに戻る最中に犠牲になったのだという(岩手日報調べ)


しっかり逃げていれば、助かったかもしれない命がある。津波の恐ろしさと防災の重要性を伝え、これから訪れるかもしれない災害時に、一人でも多くの命が助かってほしい。齊藤さんはそんな思いから、伝承活動を始めることにした。震災からちょうど2年後の2013年3月11日、さいとう製菓株式会社の工場の一角を借り、映像や写真展示を中心とした大船渡津波伝承館をオープンした。

約3万人が来館。西日本、海外からも

大船渡津波伝承館には、2018年6月に現在の大船渡市防災観光交流センターに移転するまでの期間に計約3万人が訪れ。全国各地、またフィリピンやベトナム、チリ、アメリカなど海外からも多くの訪問があったという。中でも、津波の直接的な被害がなかった盛岡市や花巻市、北上市などの県内在住者のほか、南海トラフ巨大地震による津波の襲来が心配される西日本地方から多くの人がここを訪れた。


定期的なリピート訪問もある。例えば、岐阜県の県立多治見北高校の生徒とOB一行だ。「岐阜県には海がないが、だからこそ津波の知識や怖さを知っておくべき」というOBの意向で、毎年20人ほどの生徒を引き連れてやってくる。今年で4年目になる恒例行事の1つだ。


「見学者たちは展示を見て、どんな感想を抱くのだろうか。齊藤さんは、「当時の悲惨さを知ってかなりショックを受ける人が多い」と話す。「テレビとは違い、こんなにひどい状況だとは思わなかった」「津波の怖さを痛感した」といった声を耳にすることが多いという。いずれも、津波の脅威が少なからず伝わっていることを示す反応といえる。


被災の様子を伝える映像や写真は、被害の深刻さを物語る貴重な資料だ。

被災の様子を伝える映像や写真は、被害の深刻さを物語る貴重な資料だ。


一方で、齊藤さんは外にも足を運んで伝承活動を行っている。県内外の小中学校、高校に出向いたり、消防署員や地方自治体の防災担当者に対して定期的に講演を行っているほか、過去には東京・上野で定期的に開催されていたイベント「三陸なう〜あなたに今の三陸を好きになってほしいから〜」にも顔を出し、防災の必要性を訴えてきた。さらに、岩手・宮城両県で復興支援やまちづくり活動を行う団体間で、防災に関する取り組みを発表する「防災・減災コンテスト」も開催するなどしてきた。


このほかに、「復興伝承杭」(通称:みらいんや)プロジェクトにも取り組んでいる。これは、市内の津波跡地にICタグやQRコードを埋め込んだ杭を立て、タブレット端末やスマートフォンをかざすと、避難路やその場所の津波襲来直後の様子を写真や動画で見ることができるものだ。杭メーカーのリプロ(東京)とトーマツと共同で取り組み、市内10カ所ほどで運用している。


復興伝承杭」。スマートフォンなどをかざすと、避難路や津波襲来時の様子を写真や動画で見ることができる。

「復興伝承杭」。スマートフォンなどをかざすと、避難路や津波襲来時の様子を写真や動画で見ることができる。

しかし、伝承活動を続けて5年半。震災からも早7年半が過ぎた。当時の記憶が薄れがちになる中で、”伝承”することの難しさにも直面している。次の世代へ伝えるにはどうしたらいいのか。どんな”伝え方”があるのだろうか。

紙芝居に子どもたちが熱視線。防災マップも作成

「逃げろー!」。突如、大きな声が響き渡った。紙芝居をしながら大声を出す男性の一挙手一投足に、子どもたちが息を飲むように見入っている。これは、大船渡津波伝承館が実施している津波の脅威と避難の大切さを伝える活動の一幕だ。


津波の脅威を伝える自作の紙芝居に、子どもたちが真剣な眼差しを向ける。

津波の脅威を伝える自作の紙芝居に、子どもたちが真剣な眼差しを向ける。

大船渡津波伝承館の館長・齊藤さんは、「子どもたちに津波の映像を見せて被災体験を語っても、なかなか集中して聞いてもらえないことが少なくなかった」というこれまでの傾向と反省を踏まえ、あるときから津波が襲ってきた当時の状況などを紙芝居で伝えることにした。すると子どもたちは目の色を変え、「真剣に見入ってくれることが増えた」と好評だったという。


紙芝居の演者が”本格派”だったことも大きい。演じる男性は、大船渡市出身の元劇団俳優。以前から津波伝承館の活動を個人的にサポートしていた人で、法人の理事も務めている。「まるで紙芝居を超えた演劇のようだ」(齊藤さん)と、その迫真の演技が子どもたちの心を一気に引きつける要素になっているようだ。最近も、8月に山口県から遠路はるばる小学生が津波伝承館を訪れ、紙芝居や津波の映像などを通じて防災学習を行った(写真参照)。


元俳優の男性による紙芝居は、迫力満点で子どもたちに好評という。

元俳優の男性による紙芝居は、迫力満点で子どもたちに好評という。

実際、齊藤さんたちの紙芝居をはじめとする伝承活動に触れ、自主的に防災活動に取り組む例もある。例えば、同市吉浜地区にある小学校では、生徒たちが防災避難マップを作成する動きがあった。また、市内の別の小学校でも、災害時の非常食の作り方などを学ぶサバイバル生活体験が行われているという。


齊藤さんは、「子どもたちのそうした反応は嬉しい。自然災害は思いもよらないときに起こるものだ。私たちの講演を聞いて、そうやって防災意識を少しでも高めてもらうことができれば、いざというときに役に立つはずだ」と笑顔を見せる。

「自分には関係ない」に風穴を開ける

「日本の防災意識はかなり低い」。齊藤さんは、危機感を口にする。「正常性バイアス」という言葉がある。社会心理学や災害心理学の分野で用いられる心理学用語で、自分にとって都合の悪い情報を無視したり、過小評価したりしてしまう人の特性のことを指す。


自然災害で避難警報や指示があったり、火事や事故などで自らに何らかの被害が予想される状況下でも、「今までも避難せずに済んだ」「自分は関係ない」「まだ大丈夫」などと自分の都合のいいように解釈し、都合の悪い情報を無視したり危険を過小評価するなどして、逃げ遅れの原因となるケースは少なくない。実際、2017年7月の九州北部豪雨や2018年7月の西日本豪雨などでも、そうした事態を指摘する報道が少なからず見られた。


多くの人たちに潜在するそうした意識に、なんとか風穴を開けたい。齊藤さんは、そう強く思っている。「『今まで経験したことがないから、避難しない』といった判断をしてしまうと、大きな犠牲につながるのではないかと危惧している。だからこそ、自然災害に対する心構えの必要性を、多くの人に伝えていかなければならない。」


齊藤さんは今も、防災の大切さを各地で訴え続けている。

齊藤さんは今も、防災の大切さを各地で訴え続けている。

齊藤さんが日々の伝承活動で、投げかけていることがある。特に、内陸部に暮らす人たちに対してだ。それは、「『自分には関係ない』と心のどこかで思っているかもしれないが、例えば子供や孫が今後もずっと同じ場所(内陸部)で生活するとは限らない。津波の心配がある沿岸部に移り住むかもしれないし、仕事でよく行くことになるかもしれない。だから、少しでも津波の恐ろしさや避難の必要性を自分事として考えてほしい」といった内容だ。その言葉は、南海トラフ巨大地震が懸念される西日本に住む人たちにも向けられている。


津波伝承館としては、今後も津波被害から得た教訓を地道に伝えていくつもりだ。活動は少人数で運営しており、齊藤さん自身も高齢の身だ。無理のない範囲で、「私の話を聞きたい人がいる間は活動を続ける」としており、伝承館への来訪や各地への講演依頼はこれからも引き受けるという。


「100年単位で見ると、津波は何度も来ている。今後も津波は必ず来る。実際に起きてしまったときに、『齊藤さんの話を聞いて助かった』という人が少しでもいてくれたら、活動をしてきた甲斐があるということだ。とにかく、津波が来たらしっかり逃げて、助かってほしい。」


齊藤さんの訴えは、実にシンプルだ。ただ一方で、頭ではわかっていても、なかなか行動が伴わない心理や実態があることも事実だ。その壁を打ち破るために、粘り強く、人々の心に訴えかけ続ける。大船渡津波伝承館が果たすミッションは、7年半経った今も少しも色褪せていない。


<成果を出すためのポイント>

  • ・”待つ”だけでなく、外へ出向いて伝承活動を行う
  • ・映像や写真だけでなく、紙芝居を使うなど多様な手法を用いる
  • ・全国の自然災害に教訓を活かし、災害を“自分ごと”として捉えられるようにする