第2弾 マイナスからの復興へ、交流人口を増やす「マルゴト陸前高田」(後篇)

 東日本大震災の被災地では、大きく姿を変えたふるさとの復旧・復興に向かい、困難を克服したり、震災前からの課題を解決したりするさまざまな取り組みが続けられています。本連載では、昨年度「新しい東北」復興・創生顕彰を受賞された個人・団体の活動を紹介します。


(後篇) ※前篇はこちら


  マルゴトの代表理事、大久保光男さん(60)=写真11=は「私たちの当面の使命は、単純に言うと交流人口の拡大。その土台となるのは、陸前高田で常に新しい動きをどんどんつくっていくこと。そのアクションには行政や私たちのものもあるが、もっと大事なのは市民のアクション」と話す。

 11 大久保光男さん.JPG(写真11)大久保光男さん


 東京出身の大久保さん。震災時は社外役員を務めていた都内の会社の入るビル5階の事務所に1人でいた。「大きく揺れて机の上の物がすべて落ちた。幸いけがはしなかった。自宅まで約40分歩いて帰った。途中の甲州街道は民族大移動状態。電動アシスト付き自転車を買おうと寄った店は高額の1台を残して売り切れていた。茨城県つくば市まで帰ろうとした人もいた」と振り返る。

 震災後、何らかの形で東北の復興に関わりたいという思いがあった。16年1月、陸前高田にできる新団体(マルゴト)の経営人材公募に応じた。「震災で陸前高田の中心市街地が壊滅的打撃を受けたことは漠然と頭にあった」。震災からしばらくして訪ねた南隣の宮城県気仙沼市で電動アシスト付き自転車を借りて陸前高田市を目指したが、途中の坂で電池が切れて断念。以来、「ずっと気になっていた」という。

 
 マルゴトの代表理事に就任。昨年4月に単身赴任した。「1人で地方に住むのは初めて。東北の奥ゆかしい魂をもっている人たちと、どのようにコミュニケーションをとるのか、本当に自信が無かった。でも、半年たって、楽しく話せる人たちに恵まれて、課題や悩みを話せるようになった」


 陸前高田の課題は「時間がたてばたつほど、その種類と大きさにびっくりさせられる」と話す。「この街のマイナスからの再建は土木工事ばかり目立つ。建物の土台づくりだけで5年掛かった。しかし、建物ができても、街はできない。新しい街に魂を入れるのは人の魂。人の気持ちが無いと、人はそこに足を運ばない。市民一人一人が『自分たちが何とかしなければ』という新しい街の当事者意識を持てるよう、お手伝いをしていきたい。」

  大久保さんの話を聞いた陸前高田市コミュニティホールに掲げられていた幟(のぼり)=写真12=に、こうあった。「はまってけらいん かだってけらいん」。「参加して、語って下さい」の意。震災後、ここで推進されている運動の合言葉で、当事者意識にこだわるマルゴトの姿勢にも通じる言葉だ。

 「生活の再建は何とかできたという人はそれなりにいる。ただ、地域づくりを引き続き頑張れるかどうかがカギ」と大久保さん。

12 「はまってけらいん……」の幟.JPG(写真12)「はまってけらいん……」の幟

 

 マルゴトが主に大学生、社会人向けに設定しているワークショップのメニューに「『自分』を主語にしたアクションプラン」というのがある。「街の課題を見てもらい、街の人の話を聞いてもらった上で、陸前高田のために自分だったらどうするかを考えてもらう」。当事者意識重視は徹底している。一方で、「外から来てくれる人は街の人たちに活気を分けてくれている。民泊事業でも、受け入れ家族は子供たちに元気をもらっている」という。  

 マルゴトは言葉にもこだわる。「心の振れ幅をつくる(希望と絶望に触れる)」と「希望の轍(わだち)」。

 
 前者は、来訪者に市内の4カ所ある震災遺構(「道の駅高田松原 タピック45」「気仙中学校」「下宿定住促進住宅」「奇跡の一本松・陸前高田ユースホステル」)=写真13~16=を見てもらい、当時、そこで何が起きたのか、住民はどのような恐怖心を抱いたのか、何もする気が起きないほど落ち込んだのか、などを現場で想像し考えてもらうのだ。

13 震災遺構の「道の駅高田松原 タピック45」.JPG

(写真13)震災遺構の「道の駅高田松原 タピック45」

14 震災遺構「気仙中学校」.JPG(写真14)震災遺構「気仙中学校」

15 震災遺構「下宿定住促進住宅」.JPG(写真15)震災遺構「下宿定住促進住宅」

16 a震災遺構「奇跡の一本松・陸前高田ユースホステル」.jpg(写真16)震災遺構「奇跡の一本松・陸前高田ユースホステル」

 
 後者は、教育(修学)旅行のタイトル。「この街の人々が絶望から希望へ向いて立ち上がったことを実感して、来訪者一人一人が将来の自身の轍をつくって、しっかり残してほしい」という思いを込めてスタッフが決めたという。

 
 民泊については、持続した関係性づくりを追求している。「来てくれた人には、仲間に声を掛けて次は一緒に来てもらう。受け入れ住民も子供たちに別れ際、『今度はただいまと言って帰って来いよ』と見送る人や、後で農産物を送る人が多い。子供たちから手紙をもらって喜んでいるという話もよく聞く。修学旅行で高校生の時世話になった子が大学生になって自由な時間とバイト代を得て再訪というケースも」


 陸前高田での体験によって訪れた人の心がどういうふうに振れるのか、をスタッフが推測し、それに合わせて伝え方を工夫している。受け入れ住民からは詳細な聴き取り調査をして課題解決に取り組んでいる。「来訪者の中には外国人もいるので、住民向け英会話教室を開催した。今後、料理の苦手な人向けの教室も考えている」。東京の提携会社のスタッフが学校側の要望に沿って事前事後の学習プログラムを作り、出前講座も実施している。

 
 そんなきめ細やかな活動の延長線上に「来訪者が陸前高田への移住、定住を選択肢の一つにできるようになればいい」と大久保さん。


 陸前高田市は、元市立高田東中学の校舎を「グローバル・キャンパス」=写真17=として用意。海外との交流拠点にする予定。復興活動に携わった岩手大学、立教大学の先生、学生を中心に、防災・減災や地域づくりを学び、考えて行動を起こす場でもある。どの住民にどんな経験知があるのかを蓄積し、企業の支援も得てヒューマン・ライブラリーを構築しようとする話も出ている。マルゴトは、それらのきっかけづくりを仕掛けているという。「横につなげることで新しいアクションを起こせるといいな」と大久保さん。

17 グローバル・キャンパス.JPG(写真17)グローバル・キャンパス


 17年7月にまとまった市の「人口ビジョン及び まち・ひと・しごと 総合戦略」に、「思民」という言葉がある。陸前高田に関心と愛着を持ち、市民との関係を持ち続ける人のこと。戦略の基本目標の第1番目は「陸前高田への新たな人の流れを創造し。『思民』が集うまちをつくる」。交流人口(入込観光客数)を14年度の約40万人から19年度には100万人以上にする、としている。

 
  大久保さんの2、3年後の目標は「資金的に自走できるようにすること。今は公的資金に負う部分が大きいので」。中長期的には「市内の観光業者をまとめ、観光地域づくりのかじ取り役を担う法人「DMO(Destination Management Organization)」の輪郭を描くこと。それと、人口は減っても、民泊受け入れ家族のようなアクティブ中高年を多くすること。高齢化は進むので、若い受け入れ家庭も増やしていかねば」。


 気仙沼から陸前高田へ行けなかったあの時に思民となった大久保さんと共に、マルゴトは、思民のネットワークづくりの大きな一翼を担っている。

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