取り組み概要
宮城県石巻市雄勝町にある、長さ3.5キロメートル、高さ最大9.7メートルの防潮堤を「美術館」として、壁画を描いていく取り組みをしているのが髙橋窓太郎氏だ。東京藝術大学を卒業し、電通に進んでイベントプロモーションなどを手掛けていた髙橋氏は、現在、東京都と宮城県の2つに拠点を持っている。
彼が掲げ進めている「50年後にも続いていく、海岸線の美術館(SEAWALL MUSEUM OGATSU/シーウォールミュージアムオガツ」について、その取組内容について、同代表に伺った。
防潮堤を、美術館に~災害対策の「壁」を「壁画」にする
――最初に、御法人のご紹介と、プロジェクト内容のご紹介をお願いします
私たちは、石巻市の防潮堤をキャンバスとして壁画を描き続ける試みをしている団体です。
石巻市には、津波から町を守るための大きな防潮堤があります。これは災害対策としてはとても意義深いものなのですが、同時に、町から美しい風景を奪うものでもありました。
防潮堤によって海がまったく見えなくなってしまったので、石巻市に新しい風景を作りたいということから、防潮堤に壁画を描いていく「海岸線の美術館」の考え方がスタートしました。
海岸線の美術館は、多くのアーティストや、地域の人と手を携えて、防潮堤に石巻市の風景を描いていく試みです。今はまだ「完成」はしておらず、今後もどんどん描かれ続けていく「発展していく美術館」だといえます。ペースとしては、1年に1~2作品を仕上げていく予定です。2025年2月現在は、5点の壁画と1点の地上絵が出来上がっています(壁画NO1テオリア/壁画NO2漁師/壁画NO3黎明/壁画NO4名振のおめつき/雄勝小中学校壁画ハイライト/雄勝小中学校地上絵黄金窟)。
なお、海岸線の美術館のプロジェクトは、2020年に新型コロナウイルス(COVID-19)をきっかけとして、一度中断しています。その後、2021年の12月に再開することになり、そこからまた活動を始めました。また、2024年には第72回朝日広告賞新聞広告の部で賞を頂いたほか、復興庁から「新しい東北-復興・創生の星顕彰」を頂いています。
――高橋さんは、建築がご専門で、以前は東京の会社におられたとか
そうです。以前は東京の電通(株式会社電通、東京の港区に本社を構える広告代理店)にいました。専門は建築です。東京藝大で大学院まで進んで建築を学びまして、2級建築士の資格を持っています。
私は、愛知県立芸術大学卒業のイラストレーターなどを生業として働く父母を持っていたため、子どものころから芸術に触れる機会が多い子どもでした。子ども時代に住んでいた家はとてもすてきな家だったのですが、取り壊されることになり、「なぜこんなにすてきなものが取り壊されるのか」という思いを抱いたことから、建築・設計の道に進みました。
大学では建築を学んだのですが、「プロジェクトが大きくなれば大きくなるほど、かかるお金も大きくなる。ではそのためのお金はどこから生まれるのか?」「大きいものを作るためには、営業の勉強も必要だ」「建築以外も学びたい」という思いが生まれたことをきっかけとして、卒業後は電通に入ることにしました。電通では企業の悩みを解決するためのプロモーションイベントの作成などを行っていました。
そのようにして建築物などと関わってきた私ですが、2011年に東日本大震災で津波で建築物が流されていく光景を見て、「自分にできることは何か?」と考えるようになりました。それが海岸線の美術館を作っていきたいと考える元となったように思います。
否定的な意見も肯定的な意見もあったなかで進めていくプロジェクト
――初めて防潮堤を見られたときの感覚について教えてください
「自分にできることは何か?」を考え続けていた私ですが、海岸線の美術館というプロジェクトを具体的に始めようと思ったのは、2019年の7月に石巻市を訪れたときの衝撃がきっかけとなっています。
当時はまだ防潮堤は建設中の段階でしたし、メディアなどで防潮堤の建設が開始されていることは知っていました。
ただそれでも実際に、巨大で、海と町を隔てるようにそびえたつ壁を見た時のインパクトは大きくて……。「再興」「再構築」といわれるなかで、こういう風に、町が自然と隔てられていくのかショックを受けたのです。
そこで、「壁画によって、今まで当たり前にここにあった『自然』を取り戻すことができないだろうか」「自分の培ってきた経験や、学んできた知識をどうにか生かすことができないか」を考えました。
――地元の方との連携について、どのように進めていかれましたか
地元の方との連携について話すためには、「海岸線の美術館を作るにあたっては、賛成意見だけでなく、反対意見もあった反対意見より多いのであればやってみる価値」ということをお話ししなければならないと思います。私は石巻市出身の人間ではなく、ボランティアに伺ったこともなく、また石巻市に住んだこともない人間でした。そのため、当然「よそものがやってきて、私たちの町で何をやっているんだ」という意見もありました。その人たちに対して「説得する」という視点は、正直あまり持っていません。人それぞれ考え方や人生のスタンスもありますから、その人たちの考え方そのものを変えるのは非常に難しいことです。
ただ、賛成意見の方が反対意見より多いのであればやってみる価値はあると思いましたし、「良いね」という人に対して積極的に働きかけていきたい、丁寧に説明していきたいという気持ちは強くあります。
この海岸線の美術館を作り始めたとき、いろいろな人が興味を持ち、珍しがってくれて、飲み物や食べ物を差し入れしてくれたのはうれしかったですね。そのときにかけられた、「壁画ができあがっていくことで、壁が面白くなっていく気がする」という言葉はとても印象的でした。
このような考えの下で、宮城県の行政などに対しても働きかけを行いまして、2021年の10月に宮城県東部地方振興事務所から防潮堤の一部使用許可を得ました。このときの事務所の担当さんが非常にやる気のある方で、とても熱心に真摯に話を聞いてくださいました。
復興庁から「新しい東北」復興・創生の星顕彰」に選ばれたことは素直に嬉しいと思っています。行政との関係を良くすることは海岸線の美術館という美術作品を作るうえで大きなプラスになりますし、地域の人が喜んでくれる作品を作っていくことにも役立てられるものだと考えています。
しばしば芸術作品は「課題解決のためのもの」「体制への批判」というくくりで語られることがありますが、そのような考え方自体が私はちょっと古いと思っていまして、「復興庁の人と話せる環境」「防潮堤は風景を奪うが、安心を与えてくれるものでもあるという声」も大切にしていきたいと思っています。
――現在プロジェクトに参加されているメンバーについてお教えください。また、公募のご予定はありますか?
現在の壁画は、安井鷹之介さんにお願いしているのですが、彼は大学時代であり、彫刻を専門とするアーティストです。石膏で型取りしたぼこぼこのキャンバスによく絵を描いていた人で、石膏と布で造形した彫刻で注目を集めたアーティストでもあります。
彼は非常に心が熱い人で、ボランティアで桜の植樹などもしていました。土地に根付く人々の心に真摯に寄り添える人、その心を丁寧に見ていける人でもあります。昔はそのような「一つの土地を愛して、そこの人に寄り添って生きていく画家」が多くみられましたが、安井さんはその流れを汲んでいる人だと感じています。
また、今年からさらに4名のアーティストが加わる予定です。私の東京藝術大学時代の同級生であり、非常に力のあるメンバーです。
――どのような人にこのプロジェクトに関わってもらいたいとお考えでしょうか
先程の話とも少し重なる部分があるのですが、「石巻市に関わり続けられる人、寄り添い続けられる人、何度も石巻市に足を運べる人」に関わってもらいたいと思っています。石巻市に何度も足を運んで初めて感じるものがありますし、足を運ぶことでより濃い関係性を築けるようになります。そしてそうすることで、「面白い作品」「半端ではない作品」が作っていけると感じています。石巻市と繋がりを持ち、その縁を長く続けていくこと、通い続けていくことで、産まれるアートもあると考えています。
ただ、私は「石巻市への完全移住を前提とした活動」をしているわけではありません。私は東京と石巻市、2つの拠点を持っていて、東京と石巻市を行き来しています。
東京で働いているときも「東京にずっと働き続ける」という選択肢はありませんでしたし、逆に石巻市と関わるようになった後も、この石巻市に引っ越して完全に居を移すということも考えていません。今後出てくる多くの若いアーティストに対しても、「場所が変われば考え方も変わる。東京ではできないことが地方で、地方でできないことが東京でできることもあるから、拠点を2つ以上持つことは大切だ」とアドバイスしたいですね。
オルタナティブの芸術を壁画として表現する
――このプロジェクトのおもしろさはどこにあるのでしょうか
「この壁画作りは、オルタナティブ(alternative、狭義の意味では「代替の」と訳される言葉。芸術の分野においては特に、「美術館などの正式な施設ではないところを、表現の空間とすること」の意味で使われる)建築である」と私はとらえています。屋外の、非常に広大なスペースで展開される、世界に類を見ないアートであると思っているわけです。海岸線に並んだ壁画の全体が作り出す空間性が、力を持っている芸術品となるのが海岸線の美術館のおもしろさでもあります。
海岸線の美術館は、31.5メートルにも及ぶ巨大な壁に絵を描いていくプロジェクトです。マスタープラン(「基本計画」と訳される。建築の分野では特に、「都市計画」「まちづくりの方向性を示すプラン」という意味を持つ)は商業的に作られていくものではありますが、これほど広大なキャンバスに、しかも50年以上をかけて描いていく・続いていくプロジェクトは、全世界を見てもあまりありません。
街づくりはしばしば「点と点」で作られるもので、しかもそれは歴史のなかで消えていく可能性があるものです。しかし海岸線の美術館のように、防潮堤に描かれたアートは、それ自体がアーカイブ(古い記録を長期間にわたって保管・保存していくこと、またその場所)化していくという特徴を持っています。壁画が過去の伝承の語り部となり、街づくりの建築の記録となり、歴史性の感じさせるものになっていくわけです。これは非常に特異なことですね。
もうひとつ、海岸線の美術館は私自身の「おもしろい」を込めているものであるという点も伝えておきたいと思います。海岸線の美術館は、私にとっては趣味であり、自分にとっての善意の表し方であり、生きている実感を覚えさせてくれるものであり、またおもしろいいものでもあります。とても逆説的な言い方になるのですが、作り手側がアートに対して「つまらない」と感じたり、義務感で手を動かしたりしてしまうと、それはやりがい搾取につながってしまいます。そしてやりがいを搾取していくと、結局それは持続的なプランとはなり得ません。
――厳しいことをお聞きします。防潮堤の寿命は最長でも100年程度とお聞きして
そうですね、防潮堤に描いた壁画はすべてが残り続けるわけではありません。ただし、同時に、防潮堤が寿命を迎えたからといって完全になくなるものでもありません。たとえ壊されることがあっても、その破片がアーカイブとなって残り続けます。60年後には世界中に、「取り壊された海岸線の美術館の壁画のピース」が散っていっているかもしれません。
海岸線の美術館という復興のためのものが、やがて世界中に散っていくこと、取り壊された後もアーカイブとして存在し続けることには、大きな意味があると思っています。
――収益についてはどうお考えでしょうか
館長である私、海岸線の美術館の試みに、お金のためだけに行うものではなく、お金ではないものをもらっていると思っています。ただ、収益をきちんと見ることで、より持続可能なプロジェクトにしていくことができるというのも事実です。
そこで海岸線の美術館では、「壁主」というシステムを実施することにしました。これは響きからも分かる通り「株主」のもじりで、60センチ×1290センチのパネルを1壁の単位としてそのパトロンになれるという制度です。現在はNO1「テオリア」だけの取組ですが、最終的には7000のパーツに分けてパトロン権を販売する予定です。
海岸線の美術館は税金からの出資は一切受けていません。ただ、復興や町おこしにおいて、いわゆる「ハコモノ」よりも費用が掛からず、「50年後、世界のどこにもないもの」を作り上げられる海岸線の美術館は、パブリックアートとしても高い価値を持つものだと感じています。
今後もプロジェクトは広がっていく
――今後のプロジェクトや、連携についてお教えください
まず、今後や連携についてお話します。
石川県の小松市から「町を元気づけられる壁画を作ってほしい」と依頼を受けていますので、それに現在取り組んでいます。また、今年の7月には、美術館で新しいアーティストを入れてのプロジェクトも受注させていただきました。
また、今回は石巻市の防潮堤のお話をしたのですが、実は千葉県の浦安市にも小さな防潮堤がありまして、その防潮堤にも同じように壁画を作成する予定があります。これは浦安藝大と連携して行うプロジェクトです。
石巻市に海岸線の美術館を作ったように、ほかの町をみればその町に応じたほかの「面白い」が見つかります。そしてその「おもしろい」をかたちづくっていくのが、私の仕事です。
石巻市への関わり方、海岸線の美術館の今後としては、石巻市で育っている子どもの作った詩などを一緒に展示する機会をつき売りたいと考えています。また、これにプラスして、もっとスケールが大きいプロジェクトも並行して進めていきたいなと思っています。たとえばアーケード街にアートを取り入れてみたりするとか、そういうことですね。もちろんそこには、「予算をどう確保するのか」「どうやって、(良い意味で)人を巻き込んでいくか」などの課題はあるのですが、それもプロジェクトのおもしろさだと感じています。
――ありがとうございました、最後に伝えたいことがあればぜひお教えください
海岸線の美術館は、私にとって、ある意味で「この町へのひとつの回答」だととらえています。
地域の人やアーティスト、行政機関や壁主の方々、いろいろな人が関わって作り上げた海岸線の美術館の壁画を、多くの人が見に来てくれます。海岸線の美術館をひとつの風物詩としてとらえて、石巻市の海岸に足を運んでくれる人もいるでしょう。
私は、このプロジェクトは一朝一夕で出来上がるものではなく、急がずにゆっくり、時間を掛けて、時には「待つ」という時間もとって、作り上げていくものだと考えています。そして海岸線の美術館のプロジェクトはある意味でその目的や目標の予想がつかないものであり、逆にプロジェクトを積み上げた先に目的や目標が現れるものだと思っています。海岸線の美術館の試みは世界に類を見ないものだとお話ししましたが、このようなところもまた、海岸線の美術館が非常に特異なアートであることを示しているのかもしれません。
「石巻市に寄り添い、石巻市に関わり続け、石巻市やそこに生きる人と不和を起こさないアーティストによる作品」「石巻市に生きる人々にとって喜びとなるアート」を、これからも海岸線の美術館は作り続けていきます。
一般社団法人SEAWALL CLUB[宮城県石巻市]