第10弾 晩ご飯を食べに行く気軽さで、東北とのつながりを生み出す

東北のことを思い出すきっかけとなるようにと、関西の大学生が毎月11日の夜に京都で運営する「きっかけ食堂」。東北各地から魚介類や野菜などを仕入れ、生産者の思いやこだわりを来店者に伝えている。食を通して人のつながりを生み出すことで、東北の魅力を発信し、東北に思いを馳せるきっかけとなるよう取り組んでいる。発祥の地・京都以外にも卒業した先輩たちにより広がりを見せている。

月に1度、京都から東北に思いを馳せる

食を通して、東北を知るきっかけにしてほしい。そうした願いを込めて、京都で毎月11日に営業しているのが「きっかけ食堂」だ。魚介類や野菜、地酒などの食材を被災地の生産者から仕入れ、東北の食を提供することで、東北に思いを馳せ、さらに現地の人たちとのつながりを生み出そうという試みだ。


活動の始まりは2014年5月。当時、立命館大学の学生だった3人が立ち上げた。初代代表の原田奈実さんは、高校時代に復興ボランティアにかかわったことをきっかけに、「身近なところでも被災地とつながっていたい」という強い思いが芽生えた。ボランティア先で被災者と交流を重ねる中で、被災者の「福島が嫌われ者になった」という言葉にショックを受け、「東北の魅力や復興を語り合う場をつくりたい」と、東北の食材を生かした食堂を京都に開こうと決心する。


その思いに共鳴したのが、中学時代からの親友・右近華子さん。原田さんに誘われて復興ボランティアに参加し、食堂の運営にも加わることにした。神戸市出身の右近さんが生まれたのは、1995年1月、阪神・淡路大震災が起こった3日後のこと。幼い頃から震災当時の様子を聞かされて育ったという。もうひとりの初代メンバー・橋本崚さんも、原田さん、右近さんとともに復興ボランティアに参加したことをきっかけに、食堂の運営にも参加するようになった。


その3人が大学を卒業した後、「きっかけ食堂」を引き継ぎ、2017年4月から2代目代表を務めているのが、京都女子大学の奥田晴香さんだ。震災当時、中学生だった奥田さんは、高校生のときに初めて被災地を訪れた。被災した人たちが震災のつらい記憶を乗り越え、力強く歩む姿を目の当たりにした。「復興に協力したい」との思いから、いくつかの被災地の支援活動にかかわっていた頃、ゼミの先輩に誘われて参加した東北ツアーで、初代メンバーの3人と出会った。


宮城を代表する日本酒のひとつ「浦霞」を手にする代表・奥田さん。

宮城を代表する日本酒のひとつ「浦霞」を手にする代表・奥田さん。


「ほかの東北支援活動にもかかわってきたが、『きっかけ食堂』が圧倒的に楽しくて、みんな笑顔なのが印象的だった。食を通じて幅広い世代の人とつながっていくことにも魅力に感じ、先輩が卒業して食堂がなくなるのはもったいないと思った」と、2代目代表を引き継ぐことにした。


ほかの東北支援活動で知り合った仲間に声をかけ、おおむね5人体制で毎月の食堂運営を続けてきた。別々の大学に通っているため、食堂開催日以外に顔を合わせるのは月1回のミーティングのみ。食物栄養学を学ぶ仲間が「料理長」を担うなど、各メンバーの得意分野を生かしながら、無理のない範囲で、楽しみながらかかわっているのが継続の秘訣だ。


食堂を運営するのは全員が関西の大学生だ(前列中央が奥田さん)

食堂を運営するのは全員が関西の大学生だ(前列中央が奥田さん)


「きっかけ」を生み出す20時11分の仕掛け

毎月「きっかけ食堂」が開店するのは、京都府上京区にある「魔法にかかったロバ」という飲食店。「若者と社会をつなげる」というコンセプトのもと、学生を含め、誰でも「日替わり店長」になれる店だ。過去5年間で約400人以上の店長が店のカウンターに立ってきたという。「きっかけ食堂」は、その店長枠を月に1回借りるかたちで運営されている。「魔法にかかったロバ」側も、奥田さんら学生を、来店客に自信を持って勧められる「認定店長」として応援している。


毎月11日、18時になると来店客が三々五々集まってくる。客層は様々だ。開催曜日によって多少異なるが、毎回40〜45名程度が来店し、そのうち過半数を学生以外の大人が占める。毎月のように顔を出す人もいれば、「きっかけ食堂」のFacebookなどを見て初めて訪れる人もいる。今の運営メンバーになってから毎月来る「皆勤賞」の人もいるといい、客同士が顔なじみになって新たなコミュニティも生まれている。


実は、常連も、一見の客も一緒になって、コミュニケーションを弾ませる仕掛けがある。毎回20時11分に設けられる「きっかけタイム」だ。これは「きっかけ食堂」の大きな特色でもあり、なじみ客の中には「この時間があるからこそ意味がある」という人もいる。まず、来店した客には「きっかけカード」が渡される。ここには、「話したいこと」「東北・熊本で連想すること」を書き込む欄が設けられている。当初は「東北で連想すること」だったが、2016年の熊本地震を機に「東北・熊本」となった。


書き込む内容は自由。東北や震災の話題だけに偏らないよう、ゆるい設定にしているのが特徴だ。「東北のことを話しましょう」としてしまうと、現地に行ったことのない人は居心地がよくないだろうという配慮から、ただ「話したいこと」の欄も設けることにしたという。


カードの空欄3つのうち2つは「話したいこと」。どんな話題でも歓迎されるため、肩肘張らずに東北に触れるきっかけとなる。

カードの空欄3つのうち2つは「話したいこと」。どんな話題でも歓迎されるため、肩肘張らずに東北に触れるきっかけとなる。


実際、ここで交わされる話題は多岐にわたる。社会人なら仕事の話、学生なら就職活動やバイトの悩みを語り合うこともある。たとえ初対面同士でも、カードの書き込みを見れば話の糸口をつかみやすい。カウンター主体の店のつくりも功を奏し、来店客は店内を自由に移動しながら、様々な話題に花を咲かせる。


「私たち運営メンバーにとっても、お客さんとの出会いはかけがえのないもの。食堂にかかわっていなければ決して出会えなかった人に、たくさん出会うことができた。みなさんが応援してくださることで、食堂を続けてこられたのだと心から思う」(奥田さん)


このように、「きっかけ食堂」の来店客はもちろん、運営メンバーにとってもかけがえのない楽しい場となっている。一方で、地理的に距離もあり、東北の人たちとのつながりや交流を生み出すことは決して簡単ではない。「きっかけ食堂」は、その課題にも向き合いながら、毎月、毎月、人の輪を広げようとしている。


カウンター主体の店内は決して広くはないが、その分、客同士のコミュニケーションが広がりやすい。

カウンター主体の店内は決して広くはないが、その分、客同士のコミュニケーションが広がりやすい。


参加者が現地を訪問。生産者にとっても大きな励みに

「きっかけ食堂」は、毎月欠かさず東北に思いを馳せる場として開き続け、それまで縁のなかった人たちが東北に目を向けるきっかけをつくっている。「東北のことを知ってもらう」という本来の目的は、十分に果たしているといっていいだろう。


だが、そこからさらに広がりを見せてもいる。食堂を開催する日に、東北の生産者と「きっかけ食堂」をテレビ電話でつなぐなどして、京都にいながらにして東北と触れ合える工夫も凝らしている。その出会いをきっかけに、これまで東北に行ったことのなかった人が、現場を訪れるケースもあるというのだ。


「わざわざ生産者さんを訪ねてくださった人もいる。マスメディアからの情報だとピンと来なくても、ここで知り合った人から直接話を聞くことで、東北に興味を持ってくれる人もいるみたい。お客さん同士で『一緒に行こう』という話になることもあって、とてもうれしい」(奥田さん)


さらに、東北の生産者にとっても確かな励みとなっている。現在、15軒ほどの生産者から食材を仕入れているが、初代メンバーから引き継いだ生産者もいれば、現在の運営メンバーが開拓した生産者もいる。運営メンバーは年に1〜2回、揃って生産者に会いに行っており、それ以外でもそれぞれが都合のつくときに、できるだけ現地を訪れるようにしている。出かける先々で、多くの人が新たな人をつないでくれるおかげで、少しずつ輪が広がってきた。そうやって直接感じた生産者の思いを、毎月の「きっかけタイム」で来店客に伝えている。


「もともとは私たちが東北を応援する気持ちで始めたつもりだったが、実は生産者さんに私たちが応援していただいている面もある。復興庁の『新しい東北』復興・創生顕彰に選ばれたことも初めは恐縮していたが、石巻市(宮城県)の漁師さんが『生産者にとっても誇りだ』と言ってくださったのが励みになった」(奥田さん)


このように、「きっかけ食堂」を通じて、実際に現地との交流が広がり、さらに生産者にとっても大きな励みになっているようだ。


生産者に会いに行くのも大事な活動の1つ。応援しているつもりが、逆に応援されている面もあるという。(石巻市の漁師・菅野善太郎さんを訪ねた際の様子)

生産者に会いに行くのも大事な活動の1つ。応援しているつもりが、逆に応援されている面もあるという。(石巻市の漁師・菅野善太郎さんを訪ねた際の様子)

運営メンバーの「卒業」を逆手に、京都から全国へ

「きっかけ食堂」の運営は、学生が中心に行っている。学生活動ならではの課題として、事業の継続性がある。2代目代表の奥田さんは現在、4回生だ。来年には社会人となり、これまでのように活動を続けることは難しい。自身が初代から引き継いだように、後輩にバトンを託す時期が近づいてきている。


これからは、ますます震災の記憶のない若い学生が増えていく。東北から離れた関西ではなおさら、記憶を継承するのは簡単ではないだろう。そこで、奥田さんらは身近な知り合いに声をかけるだけでなく、ボランティア募集サイトなども利用して、食堂運営に関心のある人を広く集めようとしている。


「私は決してリーダーシップがあるタイプではなく、むしろ逆。代表になったときは、人生最大のプレッシャーを感じていた。でも、一緒に運営しているメンバーに助けられて、ここまで続けることができた」。そう語る奥田さんは、新たな後輩たちが仲間同士で支え合いながら、食堂を続けてくれることを期待している。


一方、運営メンバーが卒業してしまうという宿命は、決して悪いことでばかりではない。実はプロジェクト発祥の地・京都のほか、2018年4月からは東京でも同じく毎月11日に食堂が開かれるようになった。その運営を担っているのは、東京の企業に就職した初代メンバーの原田さんと右近さんだ。さらに、不定期ながら名古屋でも開催が始まっている。


また、客として食堂に来ていた人が主導するかたちで、「きっかけ食堂」とはまた少し違うコンセプトながらも、つながりを大事にする場づくりが石巻市に生まれるなど、京都発の活動が少しずつ全国に広がりを見せている。


東京でも毎月開催されるようになった。若いメンバーのフットワークの軽さが、各地への広がりを生んでいる。

東京でも毎月開催されるようになった。若いメンバーのフットワークの軽さが、各地への広がりを生んでいる。

「月にたった1度の活動でも、東北から離れたところでも、無理なくマイペースにできることがある。だからこそ、これからも何らかのかたちで続けていきたい。食堂の運営以外にも、東北を知ってもらう活動ができたらいい」(奥田さん)


活動のかたちやかかわり方は変わっても、被災地への思いは変わることはない。奥田さんらは、自分の置かれた場所と、東北をつなぐ取り組みを続けていくつもりだ。


<成果を出すためのポイント>

  • ・東北以外の話もできる「ゆるさ」を意識し、様々な人が来店しやすいよう工夫し、来店客同士が気軽に交流できる「きっかけ」を仕掛ける
  • ・運営が無理なく続けられるよう、開催日以外の負担を減らす
  • ・生産者には自らの足で会いに行き、確固とした信頼関係を築く