第1弾 街を面白くする人を育てる「TATAKIAGE Japan」

 東日本大震災の被災地では、大きく姿を変えたふるさとの復旧・復興に向かい、困難を克服したり、震災前からの課題を解決したりするさまざまな取り組みが続けられています。本連載では、昨年度「新しい東北」復興・創生顕彰を受賞された個人・団体の活動を紹介します。

 
 第1弾は、起業家への活動場所提供、市民参加型のプロジェクト創出イベント「浜魂(ハマコン)」の開催などで地域の課題解決に取り組むプレーヤーを発掘・育成している福島県いわき市のNPO「TATAKIAGE Japan」(以下、TATAKIAGE)です。

 TATAKIAGEの専従者は理事長、松本丈さん(34)=写真1=と理事の小野寺孝晃さん(40)=写真2=の2人。TATAKIAGEの活動ぶりは電動アシスト付きタンデム(2人乗り自転車)に例えることができる。ペダルをこぐ2人は多彩な人脈を動かす原動力。前後輪の軸(ハブ=人間ネットワークの中心)につながる車輪は地域づくりをするいわき市内外の人脈で、前進を補助するバッテリーは、地元の自治体や分野ごとのキーマンだ。

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(写真1)理事長 松本丈さん(34)      (写真2)理事 小野寺孝晃さん(40)

 

 被災地であり、中核市として復興支援者の拠点にもなっている福島県いわき市。そのいわき市出身の2人が出会ったのは2013年のことだ。故郷を面白い街にしよう、と帰郷を考えていた小野寺さんが地域プロデュース会社の人に「いわきで一番頑張っている若い人を」と頼んで紹介されたのが松本さんだった。

  

 高校卒業後に上京した小野寺さんは当時、IT企業で営業企画の仕事をしていた。震災時は「会議室にいて、大きな横揺れに吹っ飛ばされた」。実家は半壊したが、家族は無事だった。2年後、「今の会社をもっと大きくしよう」と、事業構想大学院大学の2期生となった。しかし、「先生から『お前の強みは、いわき出身ということしかない』と言われた(笑)」。

 

 帰郷を決めた理由は三つ。

 

 ①大学で書いた論文「福島県浜通りの地域経済活性化」の実践

 ②14年のいわきビジネスプランコンテストで地産地消目的の電子商取引実現を提案し優秀賞を受賞したこと

 ③福島で、松本さんや株式会社小高ワーカーズベースの和田智行さんのような若い人が頑張っていることをウェブで知ったこと。

 

 「このタイミングだな」と思い、15年に帰郷した。

 

 2度目のいわき暮らし3年目。小野寺さんが気付いたのは「復興が進んでいるのは、中間支援団体が頑張っているところ」ということだ。中間支援団体(組織)は、NPOと、各種資源を提供する国、企業などの間に入って資源の仲介や人材育成・紹介、調整などをする。TATAKIAGEもその一つで、「U・Iターン希望者と市の担当者の間などにハブとして入って、人と人をつなぐ毎日。今は、いわきのどの人が何を考えているか分かるようになった」。

 

 松本さんも「ハブ」役を意識する。「地域で何かをやろうと考えている人は視野が狭くなりがち。僕らは市外、県外の支援団体関係者のネットワークをもっていて、マッチングが得意。いわきで何かをやりたい人や地元会社でのインターンを希望する人とのハブ役になりたい。人と人を掛け合わせて新しいプログラムを作っていきたい」

 

 震災後、福島には数多くのNPOが誕生したが、消えていったところも少なくないという。だが、松本さんは「さまざまな人のつながりができたところは残っている。この『つながり』が一番大事。僕らの役割は、何かをやりたい人と応援する人の『母集団』を作って、それを支えること。今は企業家まではいかない草の根プレーヤーの育成段階。最終的には大きな起業家が生まれたらいいな」と話す。

 

 松本さんが「TATAKIAGE」の名前に込めた思いとは? 「震災後を、焼け野原となった戦後の日本になぞらえた。学力や出身に関係無く、たたき上げの人が行動で日本を変えていった。あのたたき上げの精神を見習おうと。福島から日本をたたき上げる、という意味もある」

 

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(写真3)TATAKIAGE Japan事務所

 

 TATAKIAGEの事務所=写真3=は、いわき駅前の飲食店街「夜明け市場」=写真4~6=の2階にある。築半世紀のスナック街「白銀(しろがね)小路」の空き店舗を、松本さんが小中高校の同級生、鈴木賢治さんと2人で借り、震災7カ月後に開業したのが夜明け市場。名前には「明けない夜は無い」の意味を込めた。

 

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(写真4)

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(写真5)

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 2店でスタートした市場は現在16枠のうち11が埋まっている。いわき郷土料理の店のほか、福島の食材を使う仏ニース料理のビストロ、加水せずに野菜のうま味を出す「重ね煮」のバル、長野出身の店長がいわき応援のため出したフルーツビールを飲ませるバー......と、店の多彩さに客は選択に迷う。

 

 「最初は被災店再開のためだった。その後、ここでの独立開業のチャレンジを応援することが目的になった。今は、いわきならではのおいしいものを食べられる場所に変わった」と松本さん。元々食べることの好きな松本さんは「『そこへ行かないと口にできない食』は、生き残るためのいいコンテンツ。旅行のきっかけにもなる。ここで提供する食の目的は、街を面白くするため」と語る。事務所には、起業を目指す人が共同利用できる「コワーキング・スペース」も備えている。

 

 以前から「いわきを面白くしたい」と考えていた松本さんは東北大大学院で建築学を学び、不動産会社に就職したが会社が倒産。親友・鈴木さんの始めた47都道府県の良品を世界に発信する会社「47プランニング」で09年から働いていた。東京都内で福島の郷土料理店を準備中、震災に遭った。会社の仲間らといわき市へ炊き出しに行った帰途に寄った銭湯で「炊き出しにも意義はあるけど、費用もかさむし、その場限り。地元で復興のための飲食店街をやろう」という話になったという。

 

 福島県は県内の起業家支援、創業意識高揚のため、2013年から「ふくしまベンチャーアワード」を実施している。その第1回で、夜明け市場は創業5年以内のスタートアップ部門の金賞に輝いた。


 小野寺さんは震災前からのいわきの課題として「新規事業をやりにくい。我の強い人が多く、外からの人に関心が低い」ことを挙げる。1966年、14市町村の合併で生まれたいわき市。市のホームページには、合併後の問題点として「旧地区を単位とする地域意識が強い」「合併前市町村の行政水準の均衡」などが載っている。

 更に、小野寺さんは市民の「行政頼み」の傾向も指摘し、「自分たちが稼ぐ仕組みづくりをしながら面白い街にしていきたい」と話す。「自分たちのために好きでやっている。人に頭を下げてお願いする時と、突き抜けて押し通す時とのバランスが大事。最初は人との間で困ることあったけど、今は皆さん協力してくれるのでやりやすい」とも。

 その実績の主柱が、浜通りで本気でアクションする人を地域の皆で全力応援する「浜魂(はまこん)」だ。hamacom (hama+community)= 浜通りを愛する人のコミュニティーの意味もある。神奈川県鎌倉市の、鎌倉のことを市民皆が「ジブンゴト(我が事)化」し、街を熱くしたい人をITで全力支援する「鎌魂」を先例として参考にし、名前にも敬意を込めたという。

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(写真7)第20回浜魂の導入部のようす(左奥が小野寺さん)


 小野寺さんはプロデューサー兼司会を務める=写真7。登壇者は、事業の種になるかもしれない活動企画や悩みをプレゼンテーション(提示・提案)する。「まず言ってみることが大事」と松本さん。それを受けて、聴衆や運営スタッフも含めて皆でブレーンストーミング(自由討議、アイデア出し)=写真8=などをする。運営するのは登壇経験者らのボランティア十数人だ。

 通常はいわき市中心部にある施設「いわきPIT」で実施されているが、昨年から「おでかけ浜魂」として、いわき市内の他の地域にも、実施場所を広げている。

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(写真8)初対面でも恥ずかしがらずにブレスト


 いわき市内でも特に震災・津波被害の大きかった久之浜地区のコミュニティー商業施設「浜風きらら」=写真9~12=で7月26日に開催された第20回「浜魂」in久之浜では――。

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     (写真9:左)第20回浜魂の会場「浜風きらら」 
     (写真10:右)会場に掲げられていた久之浜地区の被災・復興状況を伝える写真


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     (写真11:左)防災緑地(手前)から見た「浜風きらら」と久之浜地区の現景 
     (写真12:右)地元小学生も一緒に考えた久之浜の防災緑地の一部


 登壇者=写真13は男性4人。プレゼンするテーマはそれぞれ①人口減少・少子高齢化の進む地元久之浜・大久町で公共交通を再生させ、地域住民の協力体制をつくる方法②若い人に地域の魅力を知ってもらう方法③一流の人間力を育てるためのまちづくり手法④サンマ加工時に捨てる部位の生かし方。

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(写真13)プレゼンする登壇者


 午後7時からの1時間20分余で、緊張をほぐすための「アイスブレーク」を挟んで分刻みのスケジュール。4テーマ各3分間の発表、各2分間の質疑に始まり▽テーマごとの4グループに分かれてアイデア出し▽更に7人以内の小チームに分散して話し合い......と続き、まとめ役を決めて盛り上がった1案を皆で共有▽最後に、登壇者が決めたアイデアと、まず何から着手するかを発表して終わる。

 例えば「③一流の人間力を育てるためのまちづくり手法」では、小学6年生が自分で作った名刺を持ち寄って10月に交換パーティーを開くのが当面の目標になった。一流の人間力はまず己を知ることから、との狙いからだ。

 松本さんと小野寺さんは受付事務などをこなしながら各グループをニコニコしながら見て回り=写真14=、要所で短いアドバイスをしていた。

14 手を後ろに組んで立ち、笑顔で見守る松本丈さん(右)と小野寺さん.JPG

(写真14)手を後ろに組んで立ち、笑顔で見守る松本さん(右)と小野寺さん


 本編の前後には登壇経験者が次々に活動報告。2015年に避難指示解除となった楢葉町に古民家活用のコミュニティー・スナックを開きたい、とプレゼンした郡山市の古谷かおりさんは「JR常磐線木戸駅そばに小料理店『結(ゆい)のはじまり』を近く開店する」と話し=写真15=て大きな拍手を受けた(「結のはじまり」は、7月にプレオープンし、オープンに向け準備中=取材時)。

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(写真15)楢葉町に開く店の説明をする古谷かおりさん


 福島第一原子力発電所で働いていた市川英樹さんは浜通りの農業復興に貢献するのが目的の企画「日本一きれいな田んぼアートを浜通りに」を、いわき市四倉町で実現させたと発表。地元サッカーチーム「いわきFC」の名前を見事に浮かび上がらせた=写真16。浜魂は全員の記念撮影=写真17=で幕を閉じた。

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(写真16)いわき市四倉町の田んぼアート


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(写真17)最後に記念撮影


 この2年間の浜魂の登壇者は計90人に上る。その3分の1ほどがプロジェクトを進行中。幾つかのプロジェクトが既に事業化されているという。1回の浜魂が終わると、「次はしゃべらせて」と登壇希望者は絶えないが、「前に登壇した人の事業を軌道に乗せるためのフォローに力を入れるため、回数を減らしている」と小野寺さん。

 前回登壇した女性社会保険労務士らのテーマは、17年秋オープンを目指す「市内初の託児サービス付きものづくりカフェ「ichi」の告知用キャッチフレーズを考えてほしい」だった。

 早い終業、早い帰宅を推奨される時代だが、「職場と子育ての場が同じ所にあればより多様な働き方ができるのでは?」との発想から出たこの起業案。カフェは、いわき駅近くの大型商業施設「ラトブ」と「イトーヨーカドー」に挟まれていながら人の流れが少ない大工町公園=写真18=の向かいにできることで、地域活性化にも貢献できるようだ。

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(写真18)どのように変貌するか? 大工町公園


 「今は離れた所に在る花屋さんも公園そばに移転してくる。周辺道路も含めた一帯に価値を付けることが大事。まちづくりはタイミングが重要なので、常に(人や店の動きなどに)情報のアンテナを立てておかねば」と小野寺さん。

 志や専門知識があっても、事業継続には資金力が必要。だが、「復興特需」や国の補助を頼むだけでは長続きしない。そういう意味で、「日々、資産からお金を生みだせる仕組みづくり」を考えた小野寺さんが今後の資金源ととらえているのが不動産開発事業だ。その中でも「まちづくり関係に限定したもの。それがうまく回れば、僕らの気持ち、時間の余裕が出て、人も雇える」。

 例えば「まちづくりの公民連携の事例を作っていきたい」と企画中なのが「磐城平城跡」約4,000坪の活用計画。「どんな知恵を出してカネの流れをどうするかの勝負」と話す。

 復興庁主催の「実践型インターンシップ」にも松本さんがコーディネーターとして参画。約1カ月間、被災地でほかの学生と共同生活をしながら企業・団体の経営課題の解決に経営者と一緒になって取り組む学生を支援している。

 電動アシスト付きタンデム「TATAKIAGE Japan」が、まちづくりの不動産開発で土台を固め終わった時、「風景を変えるところまでいきたい」という松本さんの理想の実現は、浜通りや福島県の枠を超えているかもしれない。

 
 

◎いわき市の被災状況
死者    467人
市外避難者 3243人
住宅被害  6万3569棟
(2017年7月現在)