第10弾 夢団(ゆめだん)~未来へつなげるONE TEAM~


取組概要

防災活動グループ「夢団(ゆめだん)~未来へつなげるONE TEAM~」は、震災の記憶が残る最後の世代として、記憶や経験のない世代に今ある日常の大切さを再認識して欲しいという思いから2019年12月に結成された、釜石市の高校生有志による学生団体。
語り部活動では、震災の経験や教訓について2分間で語る。語る際には、伝えたいテーマを絞るなど、記憶に残りやすいような工夫を凝らす。
現在は約60名の現役高校生が、東日本大震災で大きな被害を受けた釜石を拠点に、地域内外の人々に向けて、震災の教訓を伝えるオリジナル動画の作成、防災食のアレンジレシピの考案、子どもが楽しく学べる防災ゲームの考案、釜石版クロスロード等テーマに分かれて活動。その他にも釜石鵜住居復興スタジアムで行われるラグビーの会場内での伝承活動や、ぼうさいこくたいでの登壇・ブース出展、県外の高校生との防災交流など被災地内外に渡って活動している。


地元への想いと語り継ぎたい経験

――それでは皆さんの自己紹介をお願いします

釜石高校3年、夢団の前副代表をしていました佐々 安寿です。よろしくお願いします。

釜石高校3年、夢団の前副代表だった赤石澤 一会です。よろしくお願いします。

釜石高校3年、夢団の前代表をしていました佐々 有寿です。よろしくお願いします。

夢団の地域をサポートしています、釜石まちづくり株式会社の常陸です。よろしくお願いします。

――まず夢団の紹介からお願いします

有寿)夢団は大震災の経験がある最後の世代として、記憶や経験のない世代に今の日常のありがたさを再認識してもらうため、同じ志の人たちと震災の警鐘活動を中心としたボランティア活動をしています。
世代交代を行いつつ今年で5年目になり、登録メンバーは高校生を中心とした50名です。動画班、防災食班、ゲーム班、釜石版クロスロードゲーム班、語り部に分かれて様々な活動を行っています。


――ありがとうございます。夢団の皆さんは釜石市で活動しているとのことですが、鵜住居町とはどのような街なのでしょうか

有寿)元々、鵜住居小学校と釜石東中学校があったのですが、そこが津波で流されてしまいました。跡地に鵜住居復興スタジアムが完成しまして、そこを拠点に伝承活動を行う事になりました。

――鵜住居町に対して思い入れなどありますか?

安寿)中学1年生の頃にラグビーW杯を見に行ったのですが、世界の人たちと繋がれた感覚になれたのを覚えています。特別な思い入れがある場所です。

一会)私は住んでいるところが内陸部で、高校に入るまで海を見たことがありませんでした。夢団に入って鵜住居町で活動するようになってから、始めて海の香りを感じることができました。山もあるし人の活気もあって良いところだなと感じています。


――夢団の登録住所にさんつなハウス内とありましたが、三陸ひとつなぎ自然学校とはどのような学校なのでしょうか

常陸)一般の民家を改修して震災のボランティアのコーディネートや中長期の受け入れを受け付けている団体です。ボランティアの宿舎提供や小学生の自然教室、2015年くらいからは高校生の地域活動のサポートを始めて今に至ります。

――ありがとうございます。常陸さんご自身のご活動についても教えていただけますか

常陸)震災の2年後に釜石に戻りまして2013年から1年程度は総務省が行っていた復興支援制度の釜援隊という団体に入っておりました、その活動の中で、他の団体と協力して何かやるということもしていましたが、その流れで高校生を支援するということもしていました。
釜援隊は2021年度末で終わりまして、釜石まちづくり株式会社へ転職したのですが、その会社でも私の提案で高校生のサポートを続けさせてもらっている、という流れです。

防災啓発活動の中で芽生えた防災への意識と繰り返さない教訓

――ありがとうございます。夢団の皆さんへお話を移していきたいと思います。皆さん高校生くらいだと思いますが、もう震災の記憶はほとんどありませんか?

一会)私は内陸部の出身なので津波の被害はないのですが、記憶はあります。お昼頃に急に揺れ出して、お母さんとラジオを持って布団のある部屋に避難しました。気がついたら夜になっていて、電気もつかないしテレビもなく、家族6人でリビングに集まってろうそく1本で過ごしました。テレビが復旧したときに、津波で流されている沿岸の地域をみて、こうも違うんだなと、感じたことを覚えています。

――皆さんが夢団に参加されたのはいつ頃ですか?

高校1年生くらいですね。

――高校生の皆さんが夢団に入られたきっかけはなにかあるのでしょうか?

兄弟や部活の先輩が入っていて誘われてはいった子が多い印象です。今日の3人も兄が入っていたり、部活の友達が入っていたことがきっかけで夢団に入りました。

――団体に入る前から防災の意識はありましたか?

正直ほとんどが防災の意識は高くなかったと思います。授業で避難訓練を体験する程度で、普段の防災訓練や学校で習った「おはしも」を覚えておく程度でした。

――夢団の活動は防災に対する啓発活動が軸になると思うのですが、活動を通して防災の意識に変化はありましたか?

安寿)私は今年になってから語り部の活動を始めたのですが、語り部研修で防災に向き合う事によって、本当に伝えなければいけないことがわかったし、伝えるべき使命感もできました。

有寿)私も夢団に入って防災のことを伝える立場になって、伝えるべきことを知ることができましたし、改めて防災の大切さを学んでいます。色々な人に防災の大切さを知って学んでほしい、と思うようになりました。

一会)私は活動の中で、内陸部と沿岸部の人にアンケートをとる活動をしているのですが、内陸部の人は沿岸部の人に比べて防災意識が低いと見られることがありました。災害の種類が違うのに、そう思われるのは良い気持ちはしませんでした。だからと言って、内陸部の人は津波に対する非難の仕方を知らなくてもいい、という考えは捨てないといけないと感じました。
アンケートによって地域のギャップを知ることができて、視野が広がりました。

経験がないからこそ語れる防災のこと

――語り部活動についてお伺いしたいのですが、2019年の創設メンバーは震災の記憶がある世代だと思うのですが、今のメンバーはあまり記憶にない方も多いと思います。記憶がないからこそ語れることについて、どのように考えていますか?

安寿)私は、語り部を始めるきっかけになったのは、東京の小学校で体験したことを話してほしいと言われたことなのですが、自分は体験していなくても周りの人から聞いたことをうまく伝えることができるのでは?とその時考えました。私自身の当時の気持ちなどはお伝えできないのですが、家が津波で全壊したおじいちゃんの話や周りの人の被災体験を伝えることで助かる命もあると思うし、語り部の話を聞いてくれた人が少しでも防災の意識が高まってくれると良いなと思っています。 家具の固定など、日常生活の中で思い出してもらえると良いですね。 有寿)私も語り部をやっているんですが、語り部は体験や記憶がない人へ向けて話すことが多いのですが、同じ記憶や体験がないからこそ伝えられることがあるのでは、と思っているんです。 共感を得やすいというか、経験した人の話す内容は説得力があると思いますが、経験のない人の内容はより親近感が枠というか、より聞いてもらいやすいのではと感じています。 一会)私は語り部の活動をしたことがないのですが、すごいなと思って聞いていました。知らないことを素人する姿も素晴らしいし、他の地域の方や知らない世代の人へ伝えようとしている姿は尊敬できます。

――世代という言葉が出てきたのでお伺いしたいのですが、5年のサイクルの中で代替わりしていくと思うのですが、世代間の意識の違いは感じたことはありますか?

有寿)私は震災を経験した当時4歳で、上の世代の人は記憶がある人もない人もいるんですが、下の世代は覚えていな人も多いのではと思っていて、今がちょうど分かれ目の世代だと思っています。でも、世代に関係なく防災について学びたいという意欲は語り部を通じて感じています。

一会)私は一緒に生活をしていて世代の違いを実感したことはないのですが、アンケートをとってみると下の世代になるに従って正答率が低くなっていって、記憶がないせいか危機感の低さを感じたことはあります。

2分間の語りに込められた防災と震災への想い

――語り部の活動は現在何名の方がやっているのでしょうか

常陸)在校生で語り部をやっているのは、6名ですね。

――現在はどのような場所で語り部活動を続けているのでしょうか

常陸)釜石市に釜石シーウェイブスというラグビーチームがあるのですが、ホームゲームの試合が鵜のスタで行われますので、その時に参加できるメンバーで語り部も含めた啓発活動を実施しています。
これが毎年メインの活動です。
シーウェイブスの試合だけでなく、鵜のスタでイベントがある時や関連する交流試合がある時も同様にイベントをしています。
鵜住居駅の目の前に津波の伝承施設があるのですが、イベントが行われる時に夢団で作成したカルタやすごろくを持っていって、子供達へ楽しみながら防災を学んでもらう、ということも合わせて行っています。

――語り部の活動では2分間で内容を伝えるとありますが、2分間の間にどのような事に注意して内容を考えているのでしょうか

安寿)私は最初に、津波に被災したおじいちゃんの話をして、その後に実際の避難経路の確認など、日常に防災を取り入れる大切さを伝える内容にしています。

有寿)私は、自分が見てきたものや街が変わっていく様子を伝えることと、自分が語り部研修の時に聞いた話を入れつつ、鵜のスタがあった場所に元々、小中学校があった話をして、最後にいざとなったら逃げることが一番大切ということ伝えています。

更なる広がりを見せる夢団の活動とは

――その他にはゲーム開発を通じて防災の啓発を行っているとのことですが、具体的にはどのようなゲームを開発しているのでしょうか?

安寿)私たちの先輩が考えてくれた防災すごろくというものに加えて、防災カルタと防災ぼうずめくりというものを開発しています。坊主めくりは他の団体の人とも協力して今よりもさらにブラッシュアップしています。

――ありがとうございます。その他には防災動画班や防災食班など色々と活動が別れているとのことですが、今はどのくらいの班に別れて活動しているのでしょうか

有寿)ゲーム班、防災食班、動画班、釜石版クロスロードゲーム班、後は自由に色々な班に参加できる夢団未来塾というものがあります。

――常陸さんにお伺いしたいのですが、卒業していった夢団のメンバーで卒業後も夢団の活動が繋がっていった事例などありますか?

常陸)卒業生の進路は様々ですが、大学で防災に関することを学んでいる子もいますし、システム系のことを学びながら夢団のWEBサイトなど、サポートしてくれている子もいます。
夢団への入り口はみんな様々ですが、夢団で防災のことに興味を持ってくれて、大学で引き続き防災のことを学び続けている事例はありますね。

――夢団のこれからについて、こんなことをしていきたい、という考えがあれば教えていただけますか?防災に限らず、やってみたいことなどあればお願いします

安寿)夢団とは関係なくなってしまうのですが、大学に行くと県外に出ることになるので、そこの土地でも防災意識を持ち続けたいと思っています。知らない土地で被災するのは怖いことなので、だからこそ地形をよく熟知して、ハザードマップを確認したりしておきたいと考えています。

有寿)前の活動でインドネシアの高校生と交流したことがあって、そこで異文化交流の楽しさに気がついたことと、インドネシアと日本の防災意識の違いも活動の中で知ることができました。これからは海外の防災のことも知れたらいいなと考えています。
大学も英語系の大学を選びたいと考えていますので、活動の幅をより広げることができたらいいなと思います。

一会私も大学進学で県外に行くのですが、防災関連のボランティアなどで今まで学んできたことを発信できる機会があればやってみたいなと考えています。

あなたにとって夢団で活動した時間とは?地元への募る想い

――夢団で活動した2年半〜3年という期間は皆さんにとってどのような期間でしたか?

安寿)私は1年生の頃から釜石だけでなく横浜のイベントにも参加する機会がありました。違う地域の高校生や高齢者など色々な世代の人と交流することで、地域ごとに備える内容に違いがあることや防災に対する考え方など、知ることができました。色々な人と知り合うことができて、多くの知識を得られたことはとてもよかったです。
他には、ゲーム開発に携われたことも自分の中では大きかったです。

有寿)夢団の中で過ごした時間は、簡単にいうとかけがえのない時間ということになるんですけど、得られた知識もそうですし、色々な人と触れ合って多様な価値観があることを知れたことは私の中でも大きな経験です。普通に生活していたら接することがなかった人たちと交流ができて、社会を少し知ることもできました。
普通の高校生よりも色々なことが経験できましたし、夢団を通じて仲良くなれた人もいます。自分から積極的に挑戦を繰り返した語り部も、かけがえのない経験です。

一会)動画班に所属しているのですが、夢団に入っていなければ動画編集の楽しさに気づけなかったし、色々な場所へ連れて行ってもらえましたし、外国人とも交流できましたし、夢団に入ったからこそ実現できたことばかりでした。
色々な体験ができたちょっと特別な高校生という感じがして、いいですよね。

――次第に震災の記憶が風化していく中で、震災の記憶が薄い世代が震災について語り継いでいくことについて、常陸さんは夢団の活動をどのようにお考えでしょうか。

常陸)言葉にするのは難しいですが、大人である私たちが細かく計画して実行するよりも若い世代が街の中で積極的に活動していくパワーには敵わないな、と思うことは多いです。
側でサポートしていて思うことは、防災は命に関わる難しいことですが、それを楽しそうにやっていることです。
楽しそうにしているのをみて興味を持ってくださったり、サポートをしてくださる地域の人もたくさんいます。
防災という難しいテーマを扱っていますが、いかに楽しく取り組めるかということを軸におきつつ、大事なことは引き継ぎながらも少しずつ形を変えてこれからも長く続けられるようサポートしていきたいです。
継続していく中で、卒業生も増えてきました。今の時点では卒業生との接点が持てていないので、今後は在校生と卒業生の接点を作って、何かイベントができたらと考えています。

――ありがとうございます。最後の質問になりますが、皆さんにとって地元とはどんな存在でしょうか?

安寿)釜石市の人たちは震災を経験した後、助け合いで困難を乗り越えてきて、復興していることを考えるととても絆が強い街だと思っています。
優しい人が多く、人の繋がりが強い釜石市は私にとって生まれ育った街でもあり、人生の大切な1ページを刻んだ街です。

有寿)夢団での活動を通じて、釜石市で濃い活動ができたと思っています。夢団の活動を通じて知り合った人が釜石市に来た時に、色々なところに案内したこともかけがえのない思い出です。
いつか今のことを思い返す時がきたら、きっと青春だったなって振り返るのではないかと思います。それくらい濃い時間を過ごしてきた街です。
私にとって地元とは青春そのものです。

一会)私は地元が釜石ではないのですが、この釜石で過ごした3年間が10代の中でもっとも濃い時間だったと思います。今後、人口減などの影響でもしかしたら釜石市が消滅してしまうかもしれません。青春を過ごした釜石市を無くさないためにも、一度外に出てもっと知識を増やして強くなった後に、また地元や釜石市へ戻ってきたいと考えています。
私にとって地元とは血液のようなものです。

夢団「夢団(ゆめだん)~未来へつなげるONE TEAM~」
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