
「TERRA Dolphin 4300」
地震や津波、土砂崩れ、洪水などの自然災害が起きたとき、空から撮った画像をリアルタイムで共有できればこれまでより格段に早く効率的に対応策が取れ、被害を少しでも食い止められるのではないか。そんな夢のプロジェクトを進めているのが、株式会社テラ・ラボだ。「新しい東北」復興・創生の星顕彰の受賞にあたり、代表の松浦孝英さんは「まさかと驚いた。ひたすら走り続けて孤独を感じることもあったが、やってきてよかったんだと思えました」と喜んだ。
被害状況をリアルタイムで届ける
松浦孝英さんは、24歳でITベンチャーを立ち上げた。事業は好調だったが技術ばかりを追い求めることに疑問を感じ、社会課題を肌で感じようとNPOやNGOの活動に力を入れるようになる。中でも関心を深めたのは災害対策分野だ。2004年のスマトラ島沖地震以降、新潟中越・中越沖地震、中国の四川大地震など大きな地震が発生するたびに募金やボランティアの派遣、シンポジウムなどの行動を起こした。しかし、ボランティアでできることの限界も痛感し、もっと根源的に役に立つ仕事ができないかと模索し続けた。そんな中、東日本大震災が起きた。
福島第一原発事故の際、ごく初期の段階で米軍の情報収集用無人機「グローバルホーク」が原発の上空から状況を撮影していたという話が聞こえてきた。初めて知る名前と「そんなことができるのか」という驚きに打たれ、調べてみると国内ではまだ誰も実現していない分野らしい。興味を引かれ、無人航空機の構造や衛星通信を活用した制御の仕組みなどを猛烈に勉強しはじめた。
2014年、長野・岐阜両県にまたがる御嶽山で噴火が起き、登山者らが多く犠牲になった。二次災害の危険から行方不明者の捜索が3週間ほどで打ち切られたことに、松浦さんは何とも言えない虚しさを感じた。噴火後すぐに無人航空機で空から撮影、送信できていれば、もっと効果的に捜索できたのではないか。「この研究開発は挑戦するべきだ」。覚悟が決まった。
国内初・長距離無人航空機の開発
2014年、愛知県春日井市に株式会社テラ・ラボを創業した。製造を目指すのは、旅客機より高い2万メートルの高度で長距離を飛べる無人飛行機。目的ははるか上空から台風や雨雲を撮影し、衛星通信によって地上へリアルタイムのデータを送り続け、気象による影響への対策に役立てること。いずれは低空で飛び、災害時の浸水や土砂崩れなどの被害状況を即時に地図データに重ねて、どこにいても被害の様子が目で見て分かるサービスを目指す。
ラジコン飛行機の制作から始め、縮小型のモデル、リアルサイズの試作機へと試行錯誤を繰り返した。約6年の悪戦苦闘と7回のモデルチェンジの末にたどり着いたのが「テラ・ドルフィン」だ。先人不在の道なき道を切り拓きながら蓄積した知財は膨大で、約80もの特許申請を予定しているという。
2019年に南相馬市の福島ロボットテストフィールドに拠点を構えた。陸・海・空のフィールドロボットを対象に実際の使用環境を再現しながら研究開発等ができる施設で、福島県が整備した。「事業目的の研究開発に使うことができる滑走路は世界でも珍しい。イノベーティブな事業に積極的に支援してくれることもありがたい」と松浦さん。原発事故を機に事業を始めた松浦さんにとって福島は思い入れのある土地。「地元企業との連携や雇用創出の面で、福島の新しい産業に寄与できればうれしい」と将来を見据える。
株式会社テラ・ラボ 代表取締役/松浦孝英さん
実用化への夢と過去の災害検証
最新型のテラ・ドルフィンは自動航行が可能。しかし実用化には、安全性や法律などクリアしなければならない課題が山積している。それらを一つひとつ検証し、乗り越えて環境を整え、2026年に社会運用を目指す。
開発と並行して東日本大震災の被害の検証にも取り組む。「いつどこで何が起きたか、どんな情報リソースがあれば何が可能でどれだけの人を救えたか。過去の災害から我々は非常に多くのことを学べる」と松浦さん。人命救助のタイムリミットといわれる72時間以内に初動をどう取るかで、救われる命が増える。津波や原発事故、他地域での土砂災害や地震も含め実際に起きた場所で仮説を検証することで、未来の災害に生かす知見が得られる。
国内にテラ・ドルフィンの拠点を4~5ヵ所置き、国土全体を見守る体制を整えることが目標。
その先はアジア全体への展開を夢見る。自然災害は止められないが、被害を減らす挑戦は限りなく続く。災害が起きた場所にすぐさま「空飛ぶイルカ」が現れる未来が、いつかやってくる。テラ・ドルフィンの命名の由来を尋ねると「家族と海に行ったらイルカに遭遇したから」と笑った。「神話の時代からイルカは人を助けるシンボル。僕の思いにぴったり合ったんですよね」。
株式会社テラ・ラボ[福島県南相馬市]
https://terra-labo.jp/