
津波により甚大な被害を受け、町民が町内外に散らばって避難生活を送らざるを得なかった南三陸町。自らも被災しながらコミュニティの再生に立ち上がったのが、復興みなさん会だ。仮設住宅・復興公営住宅でのコミュニティ作り、行政と町民の橋渡しなど幅広い役目を担い、現在も精力的に活動を行っている。「新しい東北」復興・創生顕彰の受賞に際してメンバーは「今までの取り組みが評価されたことがうれしい」「まちづくりに終わりはなく、小さな歩みを大切にしながら活動の輪を広げていきたい」と想いを語った。
被災当事者が団体設立
一般社団法人 復興みなさん会の中心メンバーは、いずれも被災の当事者だ。代表理事の後藤一磨(ごとう かずま)さんは戸倉地区、理事の及川清孝(おいかわ きよたか)さんと畠山幸男(はたけやま さちお)さんは歌津地区、工藤真弓(くどう まゆみ)さんは志津川地区にそれぞれ家があったが、津波で流失した。
4人は避難所で暮らしていた2011年の夏、宮城大学の復興支援事業の一環で「復興まちづくり推進員」としての活動を始めた。最初に取り組んだのは仮設住宅マップ作りだ。入居者が抽選で決まったケースも多い上に、個人情報保護の観点から誰がどこに住んでいるという情報は提供されなかったため、仮設住宅でのコミュニティ形成はなかなか進まなかった。そこで大規模仮設住宅の住戸を1戸1戸訪問し、掲載許可を得られた世帯の名前と元の地区名を載せた住宅マップを制宮城大学による支援事業は3年間、2013年度まで続いた。「復興まちづくり推進員」としての活動と並行して、2011年10月に被災した町民による任意団体「復興みなさん会」を設立、仮設住宅自治会と連携してお茶会を開いて交流を深めたり、町の復興について学ぶ「復興てらこ屋」を開催したりしながら、活動の幅を広げていった。宮城大学の支援が終わった2014年度からは、一般社団法人 復興みなさん会として活動を継続している。
復興を「自分ごと」に
同会の活動の大きな目的は、より多くの町民に復興のプロセスに関わりを持ってもらうことだった。そのため2011年12月から、「復興てらこ屋」を定期的に開催。当初は過去の被災地の経験を聞く会や、町民同士で語り合う会などを通して思いを共有することからスタートし、復興計画が定まると行政から直接説明を受ける場、それぞれの事業について議論し意見を出していく場へと変化させていった。
その「復興てらこ屋」の場から、「南三陸椿ものがたり復興」が生まれた。椿は南三陸に昔から自生するなじみ深い植物。復興やまちづくりの話し合いの場になかなか参加できない高齢者や女性も参加しやすい場として、椿がテーマのお茶会を開催し、その後半に役場などから復興公営住宅の建設、といった復興に関する情報提供をしていただくようにした。さらに椿でできること、したいことを出し合い、将来の津波からの避難路沿いに目印として椿を植える「椿の避難路づくり」や椿の苗作り、椿のお花見・種拾い交流会、椿油料理体験会など、町民が楽しみながら積極的に関われる活動を展開している。
ニーズの変化に合わせ活動を発展させる
復興みなさん会の活動は、復興の進捗や町民の暮らしの課題の変遷によって変化してきている。発足当初から町民の困りごとや要望をきめ細かにくみ取り、メンバーで共有し、行動してきており、これからもその方針は変わらない。
2014年から毎月発行していた「復興まちづくり通信」は、2021年5月から「南三陸 汐風便り」としてリニューアルし町内外へ復興や町民活動の情報を届ける。他に、震災前と現在の地図を重ね合わせる「今昔マップ」作りも進行中だ。
2020年秋、南三陸町震災復興祈念公園が完成した。これに合わせて、町民が種から育てた苗木を含む43本を植樹するとともに、同会など町内の住民団体と行政が協働して「さんサンポートプロジェクト」を始動、「公園と周辺一帯をどう活用できるかみんなで考えよう」と町民に呼び掛けている。祈念公園を軸に、町に点在する各団体が横に連携できると期待する
被災者だからこそ持てる当事者目線で寄り添い、ともに考え、行動してきた同会は、南三陸町の復興とその先を見据え活動を発展させていく。
一般社団法人 復興みなさん会[宮城県南三陸町]
http://tohokuconso.org/common/minasan/